RESOLUTION ll 第2章(5)

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 第一級非常体制を布いたままの、最大速度での航行を大村に任せ。
古代は医務室へとやって来た。

 ほんの数分でもいい。——守に会わなくちゃ…。


 瞼が重かった。
 アクエリアスを出発してから、限界速度での航行と限界距離いっぱいの連続ワープを重ね、そして遭遇したあの第一次船団の壊滅現場である……
 鍛えられた軍人たちでも、あの惨劇を目の当たりにし2昼夜連続での救助作業だ。心身ともに疲れは限界に来ていたが、まだここで立ち止まるわけにはいかなかった。

 …俺は、あいつの父親なんだ……


「ああ、艦長」
「どうも、佐々木先生」

 遠慮がちに入ってきた艦長の姿に、白衣の美晴がデスクから立ち上がり会釈した。古代は医務室をくるりと見回した。美晴しかいないのを見て首を傾げる。
「…武藤先生は例の生き残りの問診に行ってますよ。…入院区画です。あ、そうそう、アナライザーのヤツも一緒に行きました」
「いや…」
 ああ、そうか、と美晴は合点した。「守くんですか?」
「…ええ。すみません。息子がお世話になってます、…佐々木先生」
 その狼狽えたようなナーバスな表情に、美晴はふふ、と笑う。
「……その『先生』っての、やめません?堅苦しいから」
「え…」
「美晴、でけっこうですよ」
 ……はあ。
 じゃ、美晴先生…って呼べばいいのかな。

 などと古代が思案しているうちに、美晴はさっさと医務室の奥にある仕切りの向こうへ姿を消し。

「……あーと」
 戻って来るなり、吹き出した。「艦長?大した息子さんですね…守くんは」


 古代は美晴の言い草に首を傾げるばかりである。……なんだって?
 美晴はクツクツ笑って言い足した。「…あたしたちがてんてこ舞いで夜も寝るに眠れない、っていうのに。あの子ったら昼間っからグーグー寝てるんですから」
「…寝てる?」
「はい」それはもう、ぐっすりと。そろそろ起きるかと思ったんですが、そんな気配もないし…。
 
 美晴はあーふ、と伸びをすると、そのまま古代の横をするりと抜け、オートドアに向かった。
「…私、武藤先生を手伝いに行きます。しばらくしたら帰って来ますから、あとお願いしますよ」
「えっ、ちょっと待ってください」

 それじゃあ、と手を振ってドアを出て行く美晴に、古代は戸惑う。あとお願いします、って……
 出て行く美晴の後ろ姿を、呆気にとられて古代は見送った。

 



 医務室の外に出ると、そこにはもう一人… ナーバスな男がいた。

「……よぅ、どうした?小林」
「……おう」
 美晴は白衣のポケットから煙草を一本、取り出す。艦内はもちろん火気厳禁であるが、くわえているだけでも落ち着くのだからおかしなものである……

「…艦長は中だけど」隊員服のボトムのポケットに両手を突っ込み、伏し目がちに屈んだ小林に向かって、美晴は釘を刺す。「邪魔するんじゃないよ。やっと親子二人水入らずで話せるんだから」
「……わかってらい」
「じゃ、何しに来たのさ」
「あ… 謝ろうと思って」
「……あっはは」

 次郎に散々説教されて、小林はようやく落ち着いた所だった。彼が上条と島次郎に抑え込まれ、捜索を打ち切った古代を人でなし呼ばわりしているところを、美晴も見ている。第一その後、上条が「小林に噛み付かれた」と言って絆創膏をもらいにきたりしたのだ。
 しかし古代自身の妻も行方不明と知って、小林は後悔に打ちひしがれた……第一艦橋へも戻らず作戦室にも行かず、ずっと艦内通路をウロウロしていたのだった。艦は桜井の手で通常運行に戻り、自分は今のところ用無しである…… そうしたら、医務室へ向かう古代の姿を見かけたのだ。

「艦長は分かってるよ。…あんたがしっかりして、任務にちゃんと戻ってれば伝わるって」

 ほら、一緒に来い!
 美晴に首根っこを掴まれて、小林はよろける。「…なにすんだよ、やめろよ!」
「いいからいいから」

 臭えんだよ、そのタバコ!
 お黙り、ガキ。あたしゃ一杯飲みたい気分なんだ…… つきあいな!

 


                  *

 



(……本当だ)
 守のベッドがある医務室の仕切りの中——

 くうくうと寝息を立てて眠る息子の姿に、古代は複雑な心境だった。

 ベッドサイドに、スツールを持ってきて腰かける。
(……大物だな、こいつめ)

 アナライザーの報告で、島が地球から度々守宛にプライベートな通信を送って寄越すことを古代は知っていた。島はおそらく、雪が無事であることを守にも告げたのだろう。それできっと、守も安堵して眠ったのに違いない……

 古代は守の小さなプライベート空間を見回した。

 ベッドの足元にぶら下がる小さなリュックサック。サイドテーブルに置かれたノートとペンケース。片付けをしなさいと言わなくてはならないほど、持ち込めるものはなかったようだ。守が目覚めたら、何か欲しいものはないかと真っ先に聞いてやろう…と古代は思った。

 ベッドの枕元の上の壁には、家族で撮った写真が数枚貼り付けてある。それに混じって、何か書き付けた小さな紙が貼ってあった。筆圧の高い子どもらしい字で、座右の銘…の様なものが書いてある。


『疑問に思ったらすぐに調べる。ほうちしないこと』
『ひとつのことに関係させていつも3つ覚えること』
『人が作ったものには作った人の意志がある。説明がなくてもその意志を読むこと』
『自分はOKだと思うこと。自分を信じること』


 読みながら、くすっ……と笑った。
 こんな理屈っぽい事を教えるのは、島に違いない。しかも縦書きの箇条書きと来た。
 ちぇ。あの野郎…。守は俺の息子だぞ…?

 島の説教には自分も度々うんざりさせられたものだ……だが悔しいことにいつも、振り返ればあいつの言うことに俺は力づけられてきた。迷ったときは、あいつの説教を聞きたい、と思ったことさえあったよな……

 そして、縦に箇条書きされた小さな文字を右から左まで辿って行ったとき。最後の行、そこで古代の目が止まった……


『古代進を信じること』


 紙切れの左端には、そう書いてあったのである——

 


 我知らず、目頭が熱くなった。
(……島の…馬鹿野郎)
 いや、もちろん。これは守が、自分で考えてそう書いたのかもしれなかった。だが、島が教えたにしろ守の独断にしろ。息子自身の文字でそう記されていることに、胸がいっぱいになる。

 …俺は…ずっと、お前の傍にいてやれなかったのに……
 なのに、こんな俺を。信じる、と……


 島の声が聴こえたように思った。
(…この馬鹿。そんなことをわざわざ書かなくちゃならないほど、お前は守に信用されていない、ってこった。精進しろ、古代…!)
「…畜生…」
 守の寝顔が涙にぼやける。閉じたその目元が、自分の腕の中で眠る雪を思い出させた……涙が止まらなかった。


 母親譲りの柔らかな茶色の髪をそっと撫でる。艦長服の黒い袖が、枕にひっかかって邪魔だった。
 …遠い宇宙で一人、この愛しい息子……愛しているはずの家族を捨てて彷徨っていた自分を呪った。こんな服はかなぐり捨て、一人の父親として息子を、娘を…そして雪を、この手に抱きしめたいと思った。……こんな気持ちは、初めてだった。


 宇宙の平和無くしては、地球の平和はない——

 そう言い放ったかつての自分が、滑稽でさえあった。
(あの頃俺は、一体何のために戦っていたんだ…?)
 守るべき家族を失い。地球に戻っても愛しい人はもういない。…俺が守ろうと思ったのは、地球なんかじゃない……


 雪。
 …そうだ。君がいたから…… 俺は、戦えたんだ。
 雪。…君と、守、…美雪。


 寝息を立てる息子の肩を、そっと抱く。
(…約束する。雪……、たとえ地獄の果てだろうとかならず俺は君を救いに行く。そして帰るんだ、みんな一緒に。……美雪の待つ地球へ——!)

 



            *         *        *

 



 ——床も壁も天井も…どこもかしこも白く光る世界にいたせいか。
 <サラトガ>に戻されてきたときの古代雪と司花倫は、周囲の暗さにしばらくの間戸惑った。


「…古代艦長!!」「ご無事でしたか!」
 第一艦橋に集まっていた乗組員たちが、雪を見て口々に叫ぶ。
「…みんな…!!」
「…花倫!!」
 夫の雅人の姿を目にして、司は不覚にも涙声になってしまう…
「雅人…!!」

 もう駄目かと思った!!
 ああ、俺もだ…!
 
 思わず抱き合った二人に微笑んで、雪はさっと全員を見渡す。「…他の乗組員は…!?全員無事なの?!」
<サラトガ>は平均的な有人護衛艦、搭乗員数は85名である…。だが、ここに居る人数はその1/3にも満たない。

 機関士の北条が厳しい表情で切り出した。
「……<パンゲア>を包囲してワープアウトした場所に、あの赤い戦艦が多数居たんです。…左舷にいた奴らは、装甲板が吹き飛んだ時に…。班長も、おそらく」

 しかし、そこへ来たのがあの白い髭の男の艦隊でした… 

「我々をかばって、戦域から逃してくれたんです」
「<パンゲア>の市民たちは、彼らの本星で手当てしている、と…」
「古代艦長を保護している、と言われて、俺たち…」
 見れば、口々に話すクルーたちのほとんどが、雪たちと同様に全身至る所にあの不思議なバンテージを巻かれていた。
「…艦内で負傷していた人間は全員、手当てを受けました。ただ、我々には彼らが何者か分からないんです…」


「……話を、してきたわ。彼らの提督と」
 雪の声に、皆がしんとした。

 艦橋キャノピーから外を臨める場所まで、雪は歩いて行った。


 窓の外には、見慣れない惑星が浮かび…
 <サラトガ>に並行して、無人機動艦<日向>が3隻、停泊していた。
(…あれが、エトス星。…あの男が言っていたことは…本当だった)


 エトス星統合軍・提督ゴルイ将軍。


 あなたの船は修理し、乗組員も手当てさせて頂いた。我らが故郷の星エトスにて、巨大移民船の乗客10万人を手当てし、客人として迎えている。彼らを保護する代わりに、我がエトスとともに戦ってはくれまいか。

 目の前に、修理された<サラトガ>と手当てを受けたクルーたち。そして、3隻の無人機動艦。

 ゴルイ提督は、皆を…私に返してくれたのだ。

 

 


「…みんな。聞いて欲しいことがあるの」
 エトス星を窓外に眺めるその位置で、雪は第一艦橋の皆を振り返った。

 


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