おにぎり(1)

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 島さんのお父様のこのお家の庭には、ちょっとした起伏があります。
 どっしりした門扉のあるエントランスから母屋へは少し上り坂になっていて、左手にお庭、母屋の玄関から右手の細い踏み石を辿れば私たちのお家。
 母屋の一階の縁側に面したお庭には、背の高い木が何本も植えてあって、暑い時期には素敵な木陰ができます。お庭の中央は少しだけ窪んでいて、最初はそこに池を作りたかったのですって。でも、なかなか実現しなくて今そこには菖蒲の花壇があります。6月になると、紫のお花がとても奇麗。
 そこまでの地面には一面奇麗に芝が植えてあって、小さな飛び石が置いてあるのですが、私はいつも裸足で芝の上を歩いてしまうの。…これは、島さんには内緒です(笑)。



 そして、ある日曜日の朝のことでした……

 お母様も次郎さんも、その日は生憎いらっしゃらなくて、私は母屋でお父様と2人っきりで、ゆっくりと朝ご飯を頂きました。

 食後、濡れ縁にコーヒーのカップを持って行って、窓を開けて…
「いい気持ちだな」
「ええ、緑が奇麗ですね…」
 
 ところが、お父様はお庭の緑を眺めて、それから私を見下ろして…、咳払いをすると言ったんです。
「……今度、桜を買って来て植えようかと思うんだ」
「…桜、ですか?」
「うん、…それから… モミジとヤツデも、かな。…花壇にはひまわり、どうだろう?」
「……はい…」

 ? それは、とっても、素敵な計画ですね。

 お父様は頬に笑みを浮かべると、もう一度咳払いをしながら続けました。
「私は…植木道楽…というほどじゃないんだが、この年になって案外庭仕事が好きだってことが分かってね……」

 ……何をおっしゃりたいのかしら…?

 分かりませんでしたけど、植物が増えるのはとってもすてき。だから、私はニッコリ笑って頷きました。
「春には桜を、秋には紅葉を見たいじゃないか。…せめて、この庭で…君が…少しでも見られたら、いいなと思ってね」


 えっ…?
 私の…ために…?


「あ、いや…私がね。ここから見たいんだ。…行楽地まで行って、雑踏の中で見上げても、あんまり風流じゃないだろう?……桜も、紅葉も」
 私の表情に気がついたのか、お父様は急いでそう言い直すと、あはは、と笑いました。「この縁側で、美味い酒でも飲みながら、夜桜とか、いいだろう。…紅葉もいい。私は面倒くさがりでね。出掛けるのが面倒くさい。……それに、ここには美人もいるしね?」
「まあ」
 思わずお互いにニッコリしました… 

 
 お父様は次郎さんと似ていて、とてもお茶目なところがあります。よく考えると、島さんはあんまり駄洒落も冗談も言わないような気がしますが、次郎さんとお父様はいつも何か面白いことをおっしゃっては、私が笑うととても嬉しそうになさるんです。
 実はお父様は、島さんよりも背が高くて、肩幅も広いんですよ。髪には半分くらい白いものが混じっていますけれど、島さんとはちょっと違う感じの、素敵な男の方。

 でも、島さんにそう言ったら、ふーん、そう?と素っ気ないお返事でした…… どうしてかしら?

 



 お庭から少しだけ吹いて来る風に、緑の匂いがします。
 ああ、いい匂い… 

「そうだ、昼は…あの木の下で弁当でも食べようか」
 ……唐突に、お父様がそうおっしゃいました。
「べんとう?」
「おにぎりでも作ってさ」
「おにぎり…?」
 
 そうだそうしよう。
 お父様はそう言って、キッチンへ。
「ご飯残ってるかな… お、あるある」
 ご飯と、昨日の焼き鮭の残りと…、黒いあれ(……ノリ?)を用意して、「おにぎり」というのを作ってくださったの。


 とっても簡単なんです。
 温かいご飯を平べったく手のひらに乗せて、そこに鮭をほぐしたのをスプーンですくって乗せて。ご飯で包みながら丸めるだけ。
「テレサも作ってみるかい?」
 そうおっしゃるので、教えて頂いたようにやってみます。

 大介が小さい頃、私がよく作ってやったんだよコレを。

 お父様は、おにぎりを握りながら、懐かしそうにおっしゃいました。
「…母さんの弁当の足元にも及ばないがね… あの子は案外こんなものでも喜んで食べてくれたよ。…あはははっ」

 お父様のは奇麗な三角ですが、私が作ると丸だか四角だか、ちょっとわからないのが難点です。お父様のは黒い着物を羽織ったお雛様みたいですが、私のは次郎さんのサッカーボールみたい……。唇を尖らせながら首を捻っていると、お父様ったら笑いながら、「それは大介に見せるんじゃないよ」なんておっしゃるの。
「あらでも、味は同じですわ」と私も笑いました。

 その小さな鮭のおにぎりを、2人で10個くらい作りました。お昼にはまだ全然早かったのですけれど、それをラップでくるんで籠に並べ、氷を入れたお茶のポットも用意しました。



 お父様が広げて下さったシートの上に座布団を敷いて、木陰の下に腰を下ろすと、何だか違う世界に来たような気分……。


 風が、林檎の木の上を柔らかく吹いて行きます。日に透けた葉っぱを通して、陽の光がキラキラと音を立てて落ちてくるみたい。
「思ったより気持ちいいなあ、ウチの庭もそう悪くない」
「はい」
 お父様も満足そう。

 目にしみる緑と光る木漏れ日を見上げているうちに、なんだか…懐かしい気持ちになりました。
 どうしてかしら……。


 …ここでの暮らしには…馴染めているかい?
 大介はどうだね、君を放ったらかして仕事ばかりしているようだが…


 お父様はシートの上に寝転んで、目を瞑ったままおっしゃいました。 
 返事をしようと思ったのですが、どういうわけか胸が詰まって、声が出ません… お父様は私の返事を待たずに、またおっしゃいました…
「日中、一人で寂しくないかい?」

 唐突に、どうして懐かしい感じがしたのか……判りました。

 揺れる緑。風の匂い、空、……そして、傍らに寝転がるお父様。
 せっかく、私のために色々聞いてくださっているのに、私…… つい涙を零してしまったみたいです。誰かに優しくされると、いつもこんな風に胸がいっぱいになってしまう……

「ど、どうしたんだ?!」
 そう言って慌てて飛び起きる様子は、島さんにそっくり。

「……あの…わたし……。ふるさとでのことを、思い出して…」

 


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