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「じゃあ、母さんと私は行って来るよ。すまないね…テレサ」
「いいえ…次郎さんもいっしょですから。どうぞいってらっしゃいませ…」
お父様とお母様が、連れ立ってお出かけ。お母様は奇麗な浴衣姿です。
「ああ、いってらっしゃーい」
次郎さんと私は、お留守番。
お母様たちは次郎さんも誘いたかったようですが、「この年になって親子でお出かけなんて、じょーだんでしょ」と次郎さんは肩を竦めました。
メガロポリス・セントラルコーストで、戦後初めての<花火大会>が行われるのだそうで、お父様たちはそれを観に行かれるのです。
打ち上げ花火——。
多様な火薬を使った寸尺玉を打ち上げ、夜空に大きな花のような光の幻影を描く、日本自治州の伝統芸能。
お父様たちのように、侵略戦争以前の平和な世の中で暮らした方々は、花火をこの国の夏の風物詩のひとつと認識しておられ、再び夏の夜空にその花が咲くことを歓迎しています。
ですが、次郎さんのように、侵略戦争中に生まれた人や地表に降る遊星爆弾に怯えて暮らした年代の若い方達には、あまり受け入れられていなかったのだとか。開催自体が実に20年ぶり、なのだそうです。
——侵略戦争の戦火の記憶が生々しく傷を残していた間はまったく<花火大会>のことなんて考えられなかったのが、ついにね。
「……やっと傷が瘡蓋になった、って思えばいいのかな」
次郎さんは、嬉しそうに出掛けていくお父様たちを見送って、笑いながら三和土を上がりました。
「式典の時に信号用の花火が上がるところは何度も見たことあるけど。…それを見て奇麗だとか…まして感動した記憶なんかないもんなぁ」
スーパーウェッブには記録映像があるし、再生ホログラムでなら見たことはある。そりゃ、奇麗だな、と思わないこともないよ。
でもさ…。
本物は見たことないし、見て感動できるかどうかも分からないんじゃ。
第一、すごい人出だって言うじゃない… そんなとこにわざわざ行くの、めんどくさいよ。
言いながら、次郎さんはリビングのソファにどさりとひっくり返りました。
「兄貴は…… 帰れないんだよね?」
「ええ」
…もちろん、お仕事ですから。
「……基地が東京湾の海底にあるんだから、頭の上でやるようなもんだろ?基地内で中継とかするのかな?」
「さあ…」
島さんのいらっしゃる無人機動艦隊極東基地は、湾の対岸、房総半島に近い側の海底にあり、花火大会はシティの沿岸で行われますから正確には「頭の上」とは言えません。ですが、海上には監視ネットワークがあるから見ようと思えばモニタできるんだよ、とそう言えば島さんもおっしゃっていました。
小さい頃に<花火大会>を見たことのある島さんは、実はこれを少し楽しみにしておられたんですって。でも、残念ながら任務で駄目。きっと、基地内でテレビ中継でもして、楽しまれるのでしょうね、と私は頷きました。
「ねえ。テレサは花火ってわかる?」
「…私のふるさとにはありませんでしたけど…ここのものは、ウェッブで見たことがあります」
「俺と似たようなもんか」
「はい」
空に上がる大きな火。
……そう言ってしまえば……
たくさんたくさん、見たことがあります——。
向かいのソファに腰かけた次郎さんが、ニヤッと笑いました。
「それも、俺と同じだね」
「……はい」
戦争の火。
それが炸裂する下には、無数の死が散らばる。
「…へへ…なーんか不幸だな、俺たちって」
空に上がる火の花を、平和の象徴として見られるようになるまでには…一体どれだけかかるんだろう?
次郎さんは、居間の壁にかかっている写真のひとつを眺めました…… どこか外国の景色なのだそうです。青い空に、美しい街並の写真。
「…俺は、空…って言うと天井、しか記憶にないんだ。どこまで行っても機械かコンクリか。赤くて暗い天井。俺が物心ついた時は、人類は地下都市生活をしていたから、青い空っていうのは兄貴たちのヤマトが帰って来て、…放射能汚染が消えて初めて、見たんだよ」
…この星の空は、本当に青かったんだ。
話には聞いていたけど、本当だと分かった時はビックリしたなあ。
日が暮れて、空が赤くなったのを見て…明日も本当にこの空が青くなるのかどうか心配で心配で。一睡もしないで朝まで待っていたこともあったっけ……
その話を聞きながら、私も思い出します……
テレザート内核惑星の空は… 私が破壊してしまったあの日まで、先人たちが苦心して整えた、美しい碧色だった、ということを…。
「花火ってのも、知らなかった。あんな大きいのはね。…今日のは、三尺玉を打ち上げるそうだぜ?…直径500メートルの火の玉だ。親父や兄貴は平和な時代に見てるから懐かしいんだろうけど…。俺はホンネ言っちゃうと、かなりフクザツなの」
言いながら次郎さんは、鼻の頭を指でゴシっとこすりました。
遊星爆弾。
あのデスラーが、かつてこの星を侵略しようとして降らせていたという隕石爆弾…。 それが地表に迫って来る様は、大きな火の玉が降り注ぐように見えたのだとか。…さぞ、恐ろしかったことでしょうね……。
小さかった次郎さんは、耳を塞いで堪えるしかなかったのでしょう。
地表をえぐる轟音と震動、それのもたらす放射能に怯えて暮らした地下の日々。
兄貴と違って、俺はまだ小ちゃかったから、ただじっと怖いのを我慢して暮らすしかなかった。
…兄貴のヤマトが冥王星まで行って、遊星爆弾の発射基地を潰してくれた時は、涙出るくらい嬉しかったんだよ…。
「…兄貴には内緒だぜ」
カッコわりいから。
「…はい」
私も、苦笑して次郎さんと同じように鼻の頭をちょっとこすりました……
次郎さん…。
私だって、雷の音を聞いて「砲撃音みたい」と怯えたことがありました。空に上がる火の玉と聞けば、何か戦いの記憶を想起するのは仕方のないことです……
(次郎さんは、格好悪くなんかありませんよ…)
そう言おうとしたら、次郎さんはソファから立ち上がって「いこ」と私を手招きしました。
「二階の窓からも見えるだろ。食わず嫌いは良くない、ってね」
ドーンと上がる花火を、真下で見る…だなんて、やはり気持的には無理でも。遠目に見るんなら見られないこともないだろう。そういうことなのだと、分かりました。
*
——すっかり暗くなった空。
私たちが母屋の二階の客間のベランダに出て、セントラル・コーストの上空に目を向けたとき………
「始まったかな」
満を持して…というように、高く高く、一本の光の帯が空に上がって行き——
パアン…
軽い音と共に弾けました。
(……まぁ…)
小さな、白い星の花束。
キラキラと散りながら、花束はさらに広がって周囲に沢山の花びらを振りまきました……
「…奇麗」
思わずそう呟いた私を、次郎さんが振り返りました。
次郎さんは何か言いたかったのかもしれませんが、その直後間髪を入れずに数発、もっと大きな…もっと豪華な花火が空に上がったので、私はそっちに気を取られ。
ドォン…… と遠くに轟音。
確かにそれは、砲撃音のようでもありましたが、…思っていたほどではなく。直後に開いた大きな花に私はすっかり目を奪われてしまいました。
赤や緑、白や黄色や紫…といった、ありったけの色と光がまるで両の手に掴めるような美しい球形を象り……、キラキラと流れながら音を残して宙に消え……。
立体ホログラムで見たものより、はるかに美しくて幻想的です。
まったく戦いを想起させない…とは言いませんが、そこに禍々しいものは感じません。
お父様やお母様が、これを頭上で見て楽しみたい、とおっしゃったお気持ちがなんとなく分かりました……間近で見れば、きっともっと美しく、幻想的なのでしょう、と思われたからです。
ベランダの手すりにもたれて、私と次郎さんはしばらく黙ったままシティの空を見上げていました。
奇麗。
……島さんが一緒に見られたら… 良かったのに。
それが残念だわ、と私が次郎さんに言おうとした時です……
急に、次郎さんが息を吐き…、手すりに突っ伏しました。
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(2)