(1)へ
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「…どうなさったの?」
驚いて尋ねましたが、次郎さんは黙ったまま顔を上げてくれません。
真っ暗な庭の木の向こうから、お隣のお家でも花火を見て歓声を上げているのが聞こえました。
「…俺さ」
次郎さんは、突っ伏したまま、聞き取れないような声で言いました…
「……兄貴のヤマトがイスカンダルへ出発したあと、一人で……地表へ出ようとした事が…あったんだ」
次郎さんはくぐもった声で途切れ途切れに… そのお話を聴かせてくれたのです。
あの頃。街じゃ毎日のように暴動が起きてて。
安全な地区へ、って、家も3回、引っ越した。友達もみんな、白血病とか放射線病になって入院しちゃって… 学校も休みになった。外でイヤな奴に会うと「ヤマトなんか帰って来ない、みんな死ぬんだ」「お前の兄ちゃんは逃げたんだ」って罵られてさ……
ある日、我慢できなくなって一人で町外れのエアダクト…通風口へ行った。
子どもなんか、本当は入れない区画だった。頭使って、潜り込んでさ。
ヤマトは絶対帰って来る。兄ちゃんは逃げたりしない。
…それでも地球がどんな風になってるのか、不安で心配でいたたまれなくって。
大人たちに気づかれないように、閉鎖されてた非常用エレベーターの電源を入れて動かして、通風口から地表に出ようとしたんだ。
「………ガキって怖いよな」
怖いモノ知らずさ。
防護服も無しで、地表に近づこうとしたら一発で即死だ。あの頃の地表はどこも、平均15シーベルト以上を計測していたから。
…でもガキだった俺にはそんなこと良く分かってなかったんだな…。
禁止されてたエレベーターを上がって…ここが地表だと思ったのは、地底都市の第三階層だった。……地上へはまだ900メートルあったんだ。軍隊ばっかり駐屯してる第一階層の倉庫みたいなとこで、対空砲とかの小さな防空兵器の予備や部品を置いてる場所だったらしいけど、見た目はほとんど廃墟だった……。
「エレベーターが上がって行く時にもう、ひっきりなしにドカーン、ドカーン、って上から音がしてた。遊星爆弾が落ちてた音だったんだ、と思う…エレベーターも死ぬほど揺れた。とんでもない所に来ちゃったと思ったけど、エレベーターは途中じゃ止められない」
でね……。
やっとエレベーターが止まったと思ったら、ついた階のドアのところに、真っ黒い顔をした人間がいたんだ——。
そこで次郎さんは、思い出した記憶を話すのにほんの少し…躊躇いました。口に出すのも恐ろしい。そんな感じがしました……
「…顔も…服も、真っ黒でね。頭は埃か灰を被ったみたいにまっ白になってて、目だけが真っ赤でギラギラしてるんだ。そいつがドアの向こうから俺を見つけて、よろよろ走ってきたんだよ…」
「…………」
小さかった俺は、そいつが俺のエレベーターが来るのを見つけて、襲って来ようとしてるんだとばかり思ったんだ。あれがガミラスかもしれない、って思った、ひどい話だけどさ。…必死でドアが開かないようにって、ボタンを押し続けた。
ところが、そのバケモノみたいな男は、ものすごい形相でこっちを睨んで、必死で下を指差したんだ……
…すごい…形相だった。
唇が膨れて歯茎が見えるほどめくれてて、真っ黒い顔は、…おそらく爆撃で負った火傷のせいだったんだと思う。でもその時の俺は、てっきりオバケだと思ったから、もうパニックさ。だから、なんであのバケモノみたいな男が必死で下を指差したのかも良く分かってなかった。
「でもあれは、……下へ帰れ、っていう意味だったんだ」
……ずっと後になって、知ったんだけど……
あの第三階層は、もう汚染がひどくて生身の人間はとてもいられるような場所じゃなかった。
あの人は瀕死の重傷だった… 非常用のエレベーターが動けば、もしかしたら階下へ非難できる、そうしたら助かるかもしれない。そんな一縷の望みを持ってエレベーターを待っていたんだろう。…でも、エレベーターの中に俺を見つけて、ドアを開けさせまいとしたんだな。
密閉されたエレベーターの中なら、汚染を多少は防ぐことが出来るから。
やっとのことで第三階層まで降りてきて…待っていたのに…
中に俺がいたばっかりに。
あの人は… きっと、あそこで死んだだろう。
「エレベーターもどこもかしこも、放射能汚染されてたらしいけど、腰抜かして帰った俺は、どこも悪くしなかった。……まったく、とんでもない悪ガキだったよな」
大人たちに見つからずに、そんな冒険やってのけた。
友達に自慢したっていいくらいのもんだったけど…
俺は、この目で見たものが忘れられなくて。
「あの、ドカン、ドカンって音と、…エレベーターの中から見たものがずっと…忘れられなくてさ…」
自分がちっぽけで…何も出来ないことに苦しんだ。
ずうっと後になって、あの真っ黒な人は自分の命も顧みずに俺を安全な階下に逃がそうとしてくれたんだ、ってことに思い至って。
俺は… 自分を呪ったよ……
次郎さんは話しながら何度も苦しそうに息を吸って… 痛そうに胸を押さえます…
「さすがにあの後は、しばらく寝込んじゃったんだ。でも、親父も母さんも、このことは…知らない」
「……そうだったんですか…」
私は、次郎さんの背中にそっと腕を回しました。
空には間断なく、美しい花火が上がっています。
戦いに憂えて……
苦しんで、何もできないもどかしさに足掻いたのは。
私だけじゃなかった。
——そう思うと、次郎さんがひどく愛おしく思えて…。私は右腕でその背中をきゅ、と抱き寄せました。
「テレサ…」
上がる花火を避けるように、次郎さんが私の肩に顔を伏せました。こんな小さな胸で良ければ、あなたを抱きしめて差し上げたい……そう感じて。私は左手で次郎さんの頭をそっと抱きました。
「ごめん。…テレサの方が、ずっと怖い思い…辛い思いしてるだろ」
「…………」
いいえ、と言おうと思いましたが、きっと言葉では上手く言えないでしょう。
私はだから、黙ったまま首を振りました。
辛さや…痛みを、他人と比較することはできません。
あなたの辛さは、私の辛さとは違う。
あなたが辛いと思うことを、誰も否定なんかできません。
あなたの方がきっと辛い。だから私は自分の辛さを我慢する。…そんな風に思ってしまったら、いつまでも出口は見えないのですよ……。
辛い、苦しい…と思う心は、必要です。
痛い思いを…乗り越えて来た、耐えて来た。そのことを、どうぞ誇ってください。
よく頑張りましたねと、ご自分を労ってください……
そう心に念じて。
私はしばらくの間、俯いた次郎さんの肩を抱きながら、黙って空を見上げていました。
少しして——、次郎さんは顔を上げました。
その表情は、なんだかとても複雑で… 今しがた恐ろしい子ども時代の思い出を話してくださった次郎さんとは、ちょっと違う感じがします。
「…テレサって、不思議だね」
「…え?」
はにかむように笑うと、次郎さんはもう一度私の肩に額をつけるようにして言いました……
「兄貴が惚れたの、すごく良く解る」
「…?」
私は目を瞬きました。
「なんかね、…テレサといると、痛いものを…吸い取ってくれるような気がするんだ」
「……?」
どういう意味でしょう…?
「…なんでもない」
私の顔をじっと見つめ、次郎さんは笑いました… ドオン、とまた花火が大輪の花を咲かせます。
私たちは、寄り添ったまましばらくの間夜空に上がる花火を見ていました。
「…ずっと、ここにいてくれよな」
突然、次郎さんがそう言いました。
「…?はい」
もちろんです。だって、私は島さんの…妻ですもの。
「…そうか。…そ、だよな」
はは。
そして笑うと… 「さて」とでもいうように私から離れ。空を見上げると一言、おっしゃったんです……
「花火、……奇麗だ!」
戦いの傷が、瘡蓋に変わる。
いつか、癒されて消える……地球が、街が、こうして甦ったように。
辛い記憶も砲撃の火花も、奇麗な花火に取って代わるんだね。
「はい、そうですね…」
次郎さんは…ご自分に言い聞かせるためにそう言ったのかもしれません。
でも、…私も……そうなって欲しいと、心から思います。
2度とこの星の空に戦いの火が上がることのないように。
この平和が、永遠のものでありますように…と——。
Fin.
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<後日譚>