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「島さんには内緒です……」
そうテレサが言ったので、わざわざ彼のいない日に。
彼女の肌色を考えて、幾つか色を選ぶ。
(……かなり色白だものね…)
店に並ぶ色とりどりの小瓶を眺めながら、スキンケア用品からメイクアップ用品まで、一通りサンプルを手に入れた。
「雪さんと同じでいいんです」と彼女は言ったがもちろんそんなわけにはいかない。私の肌と、あなたの肌は、かなり質が違うの。色も違うわ…… だから、同じものは使えないのよ。
テレサから、たってのお願い…ということで雪が相談を受けたのは少し前のことだった。
島を通さず、彼女本人から雪の所へ連絡があったので、一体何だろう?と思えば。
「あの…… 、教えて頂きたくて」
——その、お化粧の仕方を。
「お化粧??」
きょとん、としてしまってから、ああ、と合点する。
…でも。
頬に影が落ちるほど豊かな睫毛に、アイラインを引いたようなくっきりした目元、額から鼻筋にかけてのTゾーンにしろ、口元も頬もきめの細かい染みひとつないシルクのような、テレサの肌。唇だって、これにルージュが必要だとは思えない。
必要なのかしら?
…お化粧なんて。
男性の中には、女性がバッチリメイクをしているのを好まない人もいる……古代くんなんか、その典型。
落とすのに専用クレンジングを使わなくてはならないようなバッチリメイクはご法度だった。
付け睫毛なんて気持ち悪いからヤだ!雪の目を覗き込んで、『君の目はナチュラルで実に最高だ』と彼が喜ぶのはとっても嬉しいが、雪だってたまには付け睫毛を付けて、もうちょっとゴージャスなメイクを楽しんでみたい、と思う。ところが彼ときたら、雪の同僚の素敵なフルメイクに目を付けて「…あれはやりすぎだよな、厚塗りしすぎ。ほとんどお面だよ、そう思わない?」などと耳打ちするのである。
頼むから、そういうのはやめて欲しいわ、オシャレくらい好きにさせてよ…、と雪は思う。
島くんって、その辺どうなんだろう?
雪はくるりと瞳を回して、考えてみる………
(あの人、……古代くんよりは女性の見た目に厳しそうよね…)
島が面食いだってことは、案外良く知られた事実である。いつ何時エマージェンシーがかかるか分からないヤマトの艦内でも、すっぴんで航海長に出会ったら何を言われるか、と女子隊員たちが戦々恐々としていたのを、雪も思い出した。もちろん、本当に口に出すことはないだろうが、戦場でだって女なら身ぎれいにしろ、と言いかねない男だ。もちろん、だから普通に考えればテレサがお化粧をしたって、どうということはない。むしろ彼は喜びそうよね、と思うのだけれど……
(……でもねえ)
雪は改めてテレサの顔を覗き込んだ。
充分、奇麗なのよね。
この顔の、どこにどう…お化粧をする、っていうんだろ?
「顔色が… 白くて、それが気になるんです」
ドレッサーの鏡の中のテレサがそう言った。大きな鏡に映る彼女の顔は、その隣に腰かけている雪のそれより確かにやや白い。だがそれははっきり言ってしまうと東洋人と西洋人との血色の差…のようなものでしかない。
でも、テレサはそれが気になるようなのだ。
「でも、透き通る感じの白でしょ。地球人でも、北欧の人なんかはあなたみたいな肌色よ?不健康な感じはしないわ。けど…ねえ?島くんはなんて言ってるの…?」
島さんには内緒。
テレサがそんなことを言うから、彼はもしかしたらメイクなんて必要ない、って言ってるのかもしれないな、と雪は想像した。まあ、これだけの美貌ですものね。このあたしが、キー悔しい!って、真剣に思うくらいだもの……
「……別に何も。…私、島さんには何も…相談していません」
「あら、珍しい」
「そうですか…?」
だが、「でも」と言いかけてテレサはちょっと口を尖らせたのだ。
……この間。
テレビを見ていたら、とっても奇麗な女の人が映っていて……。
「島さん、しばらくその人のことを見てました。……髪の毛は私のような色ですが、くるんくるん、って巻いていて… 青い目で、唇は奇麗なピンク色に塗ってあって」
ははあ、と雪は思った……
島くんの粗忽者め〜…。
モデルか女優、なんでしょうけど、島くんったらうっかりテレサの前でテレビの中の女の子に目を奪われていた、ってことね?
テレサが『島さんには内緒でメイクを教えて』といった理由が腑に落ちた雪は、俄然協力してやろうという気になった。
だあって。
なんて可愛らしい動機なのかしら?
「ねえテレサ?あなたって、焼きもち妬いたりなんかすることはないのかと思ってたけど…。案外可愛い所あるわよね…あたし、応援しちゃうわ」
「えっ……」
照れて目を丸くしたテレサが、またなんとも可愛らしい。
まったく、こんな可愛い彼女にヤキモチ妬かせるなんて、島クンったらおバカさんなんだから…。
「テレビで見た女優さんになんか、負けないほどのメイクをしてあげるわ!」
とりあえず、色々持ってきたのでそれをドレッサーの上に並べてみせた。
「……まあ……!」
雪が化粧品売り場の店員からせしめてきた無数のサンプルを目にして、テレサは嬉しそうな声を上げた。
「ベースメイクアップはやってるのよね」
「…はい、少しだけ」
お母様が、紫外線や乾燥を防ぐために必要だというので、あれこれ買ってくださいましたから。
「よし、じゃあ…」
化粧のプロセスは、真面目にやろうとすると例えばヤマトの発進プロセス、波動砲発射シークエンスよりはるかに細かく、煩雑としている。
非戦闘員とは言え、筋骨逞しい男たちの中で同じ戦闘艦橋に詰めていた雪は、効率的且つ的確・迅速なメイクの仕方を習得していた…ある意味で彼女はスピードメイクの達人でもあった。
寝る前、非番に入った時のフェイスマッサージはたっぷり時間とっていたけど。メイク前は大概戦争状態だから、かかっても5分だったわねえ…(笑)。
そんな思い出話をしながら、テレサの肌色に合うファンデーションを選び、薄く頬に乗せて行く。ブラシで目元・頬骨に沿って陰影を付ける。鼻筋と鼻の頭に、光るハイライトをちょこんと乗せる……
「んー、ぱ!、ってしてみて」
紅筆で淡いフローラルピンクの口紅を一度引き、上下の唇に馴染ませるように言う。
んー、ぱ?
雪に言われた通り唇を閉じて色を馴染ませ、小さくぱっと開けたその顔が、何ともあどけなくて愛らしい……
「…やーん、テレサ… あなたって可愛い」
「え…?」
照れたその顔も、メイクのおかげでとてもキュートだ。
雪は内心、ちょっと嫉妬した……
もちろん、進がテレサに見とれたりする…だなんてことはないに違いない。それは単に、同じ「女」としての、より美しい、愛らしいものへの嫉妬心。
でも、参ったわ… この人、やっぱりすっごく可愛い。
自分の施したメイクのおかげで普段の8割増美しくなったテレサに、島がどう反応するのか。俄然興味が湧いてくる。
「アイライン、これにしましょ」
付け睫毛をする必要はなさそうだ。睫毛の間を細かくアイライナーで埋めて行くと、驚くほどつぶらな瞳になる……きゃ〜ん、可愛い!!
「でね」
髪の毛、巻きたいんでしょ?
ユキちゃん美容室は、ヘアアイロンも完備よ。まっかせなさ〜い♪
「で…ここまでやったのなら…」
その、すとんとした丈の長い木綿のワンピ、なんていうものすごくニュートラルな服装はやめて。
なんかないかしら…とウォークイン・クローゼットの中を覗き込んだ。
あるある、可愛い服いっぱいあるじゃないの!!
「あの…」
…あんまり、丈の短いスカートは、…履いたことがなくて…
そう言ってはにかむのを説得して(だめよ、ここまでやったのなら服装もそれらしくしなきゃ!)島の母が買い与えたと思しき、しかし彼女自身は恥ずかしがって着ていないと思しきミニ丈の白いワンピースを引っ張り出す。
「さあ、出来た♪」
鏡を覗き込んで、大変身した自分の姿にまたもや頬を染めるテレサが、むちゃくちゃ可愛らしい。まるで妖精みたい…。
「…あなたはただでさえ、素の状態で妖精みたいだけど」そう言って、苦笑した。「ちょっと立って、くるって回ってみて」
ちょっと離れて、テレサの全身をチェック。自分の施したメイクに満足げに見とれる。
「………うん、すっごくいいわ」
「ホントですか?」
「これはぜひとも島くんに見せたいわね……」
「でも、あと1週間は帰ってらっしゃらないんです」
残念。
そこへ、階下から声がした。
「テレサ〜?雪さん?上なの〜〜…?」
「お母様だわ」
「あら」
「おいしいお菓子があるのよ〜。お茶ご一緒しない〜?」
はーい、ただいま。
笑顔満面の雪を従えて階段を降りてきたテレサに、小枝子が唖然とする。
「…あなた……」
「おばさま、素敵でしょ?」
「んまあ〜〜〜〜!雪さんが?」
「はい♪」
テレサって、いじりがいがありそうだと思っていたけど。…これほどとは思わなかったわ!!と小枝子がはしゃぎ出す。
「あ、あの…お母様?」
「ちょっとテレサ!!あなた、あたしの買ってあげた服、似合うじゃないの…!!」
んも〜〜、もったいないとか恥ずかしいとか言って、着ないんだからこの子は〜……
「こんなに素敵なんだから、もっとやりましょ?!ね!!」
えっ?
お菓子もお茶も、吹っ飛んだようである。
雪も呆気にとられるような勢いで、小枝子が参戦してきた……
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