BLUE BIRD (1)

 この小咄、時間的には2216年、秋の出来事。

 地球では古代進が妻子を置いて深宇宙へと旅立った頃。科学局長官真田志郎と移民対策本部長・島次郎の情報操作によってその事実は隠蔽されます。

 古代一家の離散を知らない島大介は軍を退役しテレサを連れて地球を離れ、連邦水産省所有の実験コロニー<EDEN>に移住。大介はこのコロニーを発進拠点とする緊急医療艇<ホワイトガード>のパイロットをしながら、テレサと愛娘との新しい生活を始めています(拙著<RESOLUTION>より)。
 テレザート星人として、地球人の数倍の寿命を持つことが判明したテレサ。

 2人の間に生まれた娘・みゆきには、かつてテレサが持っていたサイコキネシスの片鱗が現れ……。
 

 

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<BLUE BIRD>




 その日は、この実験コロニー<エデン>のシステムエリアにある軍港へ、ふたりで出掛けた。

 火星と木星の間に軌道を持つ<エデン>には、定期的に外部から物資が届く。ウォーターフロント…いわゆる波止場には、規模こそ小さいが賑やかな物資市場ができる。
 このコロニーに常駐しているのはプラントの技術者がほとんどだが、連邦政府から直接支給される物資の量はさほど多くない。そのため、地球から、また木星のガニメデ基地から、入港許可を得た民間の業者が訪れて生活必需品以外の物品を売りさばいて行くのだった。

 週末が休日に当たると、大介はテレサを連れて市場へ「お買い物」に出掛ける。

 二人の留守の間、娘のみゆきは島の母小枝子が喜んで見ていてくれるが、一日の大半をまだ眠って過ごすみゆきだ。おばあちゃんの出番はほとんどないと言って良かった。
 テレサはほぼ毎週のように開かれるその市へ「お買い物」に行くのをとても楽しみにしている。お買い物そのものもそうだったが、大介と一緒にぶらぶらと気ままに街を散策する、そのこと自体に彼女はずっと憧れていたからである。


 荷揚げ用に作られた、倉庫街の空きスペースに立ち並ぶ臨時のテント。 

 端から端までたったの30メートルばかりではあるが、それぞれ手持ちの商品を台に乗せて展示する行商人たちがひしめき合い、倉庫街は活気に溢れていた。こんな光景は、そういえば小さい頃神社のお祭りで見たことはあってもそれ以降の地球ではとんとお目にかからないな、と大介は来るたび不思議な気分に浸る…。

 ぶらぶらと、露店を覗いて歩く。大介にとってさほど珍しくもない品でも、テレサにとっては興味をそそられるものばかりなのらしい。彼の腕に自分の腕を絡ませて歩いていたテレサが、小さく声を上げてその腕を放し、店先のひとつに駆け寄る。……今度は何を見つけたんだい?

 滅多に物をねだったりしないテレサが目を丸くして手に取ったものを「気前よく買ってやる」。大介にとってはそれも、ひとつの楽しみなのだった。



「お姉ちゃん、負けとくよ。2つで100コスモユーロにしとこう」
「えっ…いいんですか?」
 アバタ面をした露天商の若い男が、テレサにちょっとだけ見とれてからそう言った。1個70コスモユーロの小さな木彫りの動物だ。
「…そうだな…うさぎとリスと、そっちの青い小鳥。3つ買うから120に負けてくれよ」
 みゆきのお土産にちょうどいいな、と大介がその隣にしゃがみ込む。
「島さん、それじゃあ申し訳ないわ」
「仕入れ値は10くらいだろ」
「兄さん、お姉ちゃんのカレシかい?…参ったな、勘弁してよ」
「…彼氏?いいえ、夫ですわ」
 急に真顔になって、テレサが訂正した…… 大介は思わず声を立てて笑う。

 駄目だよテレサ、そんなこと言っちゃったら値切れないじゃないか。

「チェ、しょうがねえなあ… じゃあ、コイツをつけて4つで160コスモユーロ。そんでどうだい」
 テレサにサービス、のつもりなのだろう。露天商は、台の下から首を絡ませてハート型を作っているつがいの白鳥を出して、掌に乗せてみせた。
「あら…、素敵」
「…よし、買った」

 ちっきしょ、さすが商売人は上手いね。
 アツアツのペアの白鳥なんか出されたら、降参するしかないぜ…… 大介は笑いながら、テレサの肩を抱いて次の店へと歩を進めた。
 

 市場に並んでいるのはそんなような雑貨や嗜好品や趣味の品、有名無名の服飾ブランドの服や靴や帽子、香水や化粧品。生鮮食料品は、ここが動植物再生プラントであることを踏まえて、持ち込み禁止になっている。新鮮な果物や食べ物などの店がないのは、ちょっと『寂しい』感じがしたが、テレサにとってはまるで不思議の国のオープンマーケットに迷い込んだようなものだった。露天商たちも、ほぼ毎週見かけるこの金髪美女には惜しげもなくサービスしてくれる……その傍にいつも張り付いているボディガードみたいなのが、彼女の夫だと判明しても尚、彼らは皆気前よくテレサにあれやこれやとオマケをつけてくれるのだ。
 そんなこともあって、彼女はいつも、通りの端から端まで全部の店を見て回りたがるのだった。



 さてその日は、珍しく『古本屋』が来ていた。
 家でみゆきの子守りをしてくれている母の小枝子にと、花模様の膝掛けと彼女の好きそうな雑貨を幾つか買い。そのお土産の袋を腕からぶら下げたテレサは、書棚にずらりと並んだ本を見て目を丸くした。

「……データが、紙の裏表に書いてあるのですか?」
「そうだよ」
「…開いてみると、…文字が絵のようですね…!!…匂いも不思議…!」
 その驚きようがおかしくて、大介は思わず微笑んだ。
 古くなった本の、紙とインクの匂いか。良い匂いとも思えないが、確かに不思議な匂いだな。それに、君のテレザートでは一体どんな筆記の仕方をしていたんだい…? 少なくとも、絵は、平面だったんだね。
 
 移動式の書棚を転がしてきてそれを並べただけの小さな本屋は、人の良さそうな小柄な老人がひとりできりもりしているようだ。
 テレサはその店の前でしばらくの間立ち止まり、並べられた100冊ばかりの『本』…の背表紙にじっと見入った。

 色とりどり、厚みも高さも大小様々な、ハードカバーの背表紙。すべてが「紙」で作られた本。厚い色ボール紙を樹脂加工が包み、中の項も一枚一枚が黄ばんだ、しかし手にとれば手触りの優しい、柔らかい紙で作られた本である。何十年も前に印刷されたのであろう黒いインクは所々掠れ、並んだ文字は決して読みやすいとは言えないが、開いたページから文字の羅列が与える印象は不思議と目に心地良い……


 本——。

 現代でもまったく存在しないわけではないが、紙に文字が印刷された古式ゆかしき「書籍」は、実はかなり珍しい。だから大介も一緒に、それを覗き込んだ。

 現代では、「本」といえば電子書籍が一般的である。文庫サイズから大型絵本サイズの、数種類の大きさの軽量ボードタブレットの中に平均2億冊分の小説や絵本や童話や伝記、教科書・参考書などが収録されていて、ページをめくる動作反応と共に電子表示のページがめくれるようになっている。 紙の手触りや臭いなどはないが、どの家庭でもこのデータボードを常備しており、最低でも2億冊分の図書を必ず備えている…というのが通常だった。無論、コロニーの島の家にもそのひとつがある。みゆきがもう少し大きくなったら、子ども用の、絵本ばかりが収録されているデータブックをもう一冊買ってやろう、と大介は思っていた所だった。

「すごいね、よくこんなに本物が残ってたもんだ…」と大介が感心している間にテレサが手にとったのは、赤い堅表紙の童話。値札を見ると15.000コスモユーロと書いてある。…まあ、露店とは言っても何しろ「本物の本」だ。このくらいはするんだろうな。

「有名な童話作家が書いた、とてもいいお話ですよ」
 売り子の老人がテレサを見て微笑んだ。
「体裁は児童書ですが、内容は大人のための物語です。…2.000コスモユーロにしときましょう」

 ……そんな値段で売ったら…勿体無いんじゃ……
 そう言わんばかりの大介の顔を見て、老人は笑った。

 実はこの本は、私の子どもの頃からの蔵書でね。戦争の間これを抱えて私はずっと、地下最深部のシェルターに籠っておったんです。でも、私ももう歳だから、大事にしてくれる人に譲ろうと考えてね。どうせだから本を売った代金で、死ぬ前に一度、私みたいな者でも行ける一番遠い宇宙まで行ってみようと思ってるんですよ。今は、その最後の旅の途中なんです。
 
 へえそうなんですかと相槌を打った大介は、テレサの手にある本の題名を見てぎょっとした。


 Hans Christian Andersen『Den lille Havfrue』
 ハンス・クリスチャン・アンデルセン著『人魚姫』。


(あ、そ…そういう本は… )
 悲しいストーリーだ。それも確か、とびっきり報われない悲しい話だぞ。
 あー…。

「テレサ、そんなのつまらないよ、こっちにしたら」
 慌てて別の本を薦めようとしたが、もう遅かった。
「……この本、面白いですよ?挿し絵も素敵だし…」
 すでに数ページ読んでしまったテレサがにっこりした。
「私、これ読みたいです。少し…高いですけど…、買ってはだめですか…?」

 うー。
 そう言えば、テレサは自分のためにはまだ何も、欲しいと言っていなかった… みゆきに。お母様に。あなたに。彼女の手提げの中身は全部、自分以外の人のために、と買ったものである。

 そんなわけで、テレサは自分のために「人魚姫」を戦利品に、我が家へと帰宅したのだった。

 


 案の定、夕食後に窓辺のソファでくつろぎつつ例の本を読み始めたテレサは、次第に神妙な顔つきになって行った。
「お先にね〜…」
 小枝子母さんが2人に気を利かせてか、早々と自室へ引っ込んだ。それに対してのテレサの声も、「はい、おやすみなさい…」とお座なりである。

「…ねえ、テレサ」
 大介はリビングテーブルで広げていたニューズウィークをぱたんと閉じた(いわゆる“新聞”も、データボードタブレットなのだ)。
「…なんかさあ、俺最近太ったみたいな気がしない?幸せ太りかな〜?」
「そうですか?……そんなことはありませんよ」
「………」

 ……ああ、そう言えば、昨日の昼間、裏庭にまたリスが来てたってよ?明日はリンゴでも置いておこうか。
 そうそう、このメーカーの紅茶って、美味しいね?今度また同じの買いに行こうか、で、古代に送ってやろうよ…


 つまり、「人魚姫」なんか読むのを中断させようとあれこれ姑息な手を使ってみたわけだが、その都度顔を上げて大介の話に笑顔で相槌を打つものの、テレサの視線はまた膝に置いた本に落ちてしまう。こういう時こそみゆきに泣いて欲しい所だが、娘ときたらリビングの隅のベビーベッドで相変わらずすやすやと眠っているばかりだ。

(やだなあ… あの話、絶対テレサ泣くぞ……)

 報われない恋の話。しかも最後は、人魚姫は泡になって消えてしまうのだ。今一体どの辺りを読んでいるんだろう。大介は仕方なく、ソファに座っているテレサの後ろに回って覗き込んだ……


 声と引き換えに、足を。

 魔女の住処に忍んで行って、その薬を貰い受ける所だ。
 自分の肩の当たりに頬を寄せて覗き込んだ大介に、テレサが気づいて「あら」と顔を上げた。
「……ごめんなさい、つい夢中になっちゃって…」
 さっきから、彼は私の注意を引こうとなんだか一生懸命みたい… 一人で本なんか読んでしまって、ごめんなさいね。テレサは苦笑して、本に栞を挟むとぱたんと閉じた。

「これ、童話なのになんだか切ない内容ですね」
「ん?…ああ」
(だから俺は、そんなの読んで欲しくなかったんだよな…)
 そう言いたいのを、ちょっと堪える。
「…島さんは、あのお話をご存じなんですね…?」
「有名な童話だからね」
 察しが良いのは時に困りものだ。テレサは俺の表情をよく見ていて、大概こちらの思っていることを当ててしまう。
(…俺、顔に出やすいタチだったかなあ?)
 ……いや、彼女が… 普通以上に俺の心を見透かすんだよな…。


 テレサはさらに、大介の顔を覗き込んだ。
「……あのお話、悲しい結末なのですか?」


 ほらね。…さあて。 
 どう答えたもんだろうか。

 


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