SNOW WHITE (2)

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「お前たちが選ばれてここに居る理由はなんだか分かるか!」


 宇宙戦士訓練学校での、ある日の午後一の授業——

 出し抜けにそう叫んだ、その脂ぎった中年の男性教官は専ら学科の専門。島や古代を含め少年予備兵たちは彼の授業に辟易していたものだった。

 授業はつまるところ、保健体育、である。

 だが嬉し恥ずかしの<からだのひみつ>、になるはずのその授業は、下品な教官のせいでいつも台無し。
 それは極端な優生保護法の授業、といっても良かった……だが、少年訓練生たちにとっちゃ、そんなことは知らぬもがな、である。軍で施される座学というものはどれもことごとく洗脳、マインドコントロールだ。嫌われていた教官だったが、彼はその任務を全うしていたに過ぎず、大方のところその目的は達成されていたのだった。


「島!何故お前はここにいる? 首席の模範解答を聞かせてもらおう」
 いきなりなんだよ、と内心ブーたれつつ。島大介は立ち上がって答えた。
「……地球脱出訓練を受けるためです」

 別に模範解答でもなんでもない……数ヶ月前から、宇宙戦士訓練学校の訓練生で、なかでも有望株はこの教官の授業を受けることが義務付けられていた。最初にそう言われて、ああそうか…、もう軍も地球を諦めたんだな、と少しばかり自棄にもなった島である。だって、選ばれた人間だけが地球から連れ出されるんだぜ?てことは、その人間は行く行くは地球外での子孫繁栄という任務を背負わされるわけじゃないか。

「むう〜、部分回答だな」
 あ?と島は教官の顔を上目遣いに見上げた。
 け、細かく言えってか……?
 島が溜め息を吐き、言葉を継ごうとした途端、一番気の滅入る表現でその教官は怒鳴った……

「地球脱出計画、すなわち箱船計画のためだ!お前たちは、防衛軍のマザーCPUが作為的に選んだ、優秀な種馬である!」
 もうこの際、思春期の夢みるボーヤたちに遠慮するのはバカらしいから止めた、と言わんばかりだった。

「た、…たねうま?」
 隣で坊主頭の加藤三郎が呟いた……ガタイが良いから威圧感はあるが、朴訥で気の良いヤツだ。この間、悪友たちからアダルト画像集を見せられてコイツが目を白黒させていたのを、島も知っていた。教官のいきなりの言葉に、加藤はちょっとショックを受けたみたいだった……
「わからんか?言い換えよう。お前たちは、未来の地球のために箱船に乗せられる、優秀な精子バンクなのだ」

 あのオヤジ。
 なんちゅう夢の無い言い方しやがるのよ……

 島は苦笑して、斜め左後ろの古代進にちらりと目線を移した。教官を中央に、半円形に広がる聴講席には、無論男子学生しかいない。
 たねうま?
 せいしばんく?
 くすくすとげびた笑いがホール中に伝染して行った。んじゃ、女も優生な畑ってことなのか。じゃあ、この箱船計画に参加する女子はみんな、容姿端麗で頭脳明晰、ってことだな。…まあそれなら悪くない、むしろ楽しみ。

 だが、案の定いつものように、アウトローな<そいつ>はボケッと窓の外に目をやっていて、下品な教官の言い草など聞いていそうも無かった。
「貴様らに種馬としての男の心得を教える!…その第一か条!!『出し惜しみをしろ』!」
 お前たちは連邦政府のマザーコンピューターが作為的に選出した、選ばれしサラブレッドである。であるからして、種を無差別に撒くことは禁ずる!相手を良く選べ!!

「…わかったか、古代!」
 教官は、一番聞いていなさそうなヤツに突然話を振る…まあ常套だ。
「…は?」
 そしてまた、コイツが無邪気に振り向いて、きょとんとするのだ……

(島、なに?なにをわかったか、って聞いてんだ、先生…?)
(……とりあえず分かりました、って言っておけよ)

 小声でそう教えてやると、彼はつとめて明るく、朗らかに答えた…
「はい!分かったでありまぁす!」

 
 ……ぷっ

 誰からともなく、吹き出した。
 古代進、出し惜しみします!…ってよ!

 古代進はおっとりと育った次男坊で、とても宇宙へ出て敵と戦うなんてことが出来る野郎には見えなかった。射撃が得意だからという理由で専ら戦術中心のカリキュラムを組んでいたようだったが、ろくに勉強している素振りも見せないくせに、いつの間にか首席争いの相手にまでのし上がってきた。それまで、特に学科では尚のこと、向うところ敵無しだったはずの同室の島としては甚だ面白くない。ボケッとしてるのが悪い。笑われておけ…古代。

「…そ、そうか。あっさりしとるな」
 教官も面食らっているようだ……今日日、刹那主義の流行で「どうせ死ぬなら一度はいい女抱いてから死にてえ」というのが普通の若者の本音、だった。ああも朗らかに「ハーイ禁欲しまーす」みたいに宣言されれば、そりゃ面食らうかもな。


 しかも…
 その授業の後しばらくして、「本当に」俺たち種馬(敢えてそう表現)の「タネ」は、過剰なほど採取され冷凍保存されるという憂き目に遭った。はるかな過去、不妊治療の際にはこういう不本意な思いを強要された男性が本当に存在したと言うが、まさかこの23世紀に、『独身の自分が』こんな目に遭うとは……正直、夢にも思っていなかったものだ。

 唯一のメリットは、普通なら発禁処分ものの書籍や映像クリップを「その名目であれば」自室に持ち込んでも咎められなかった……という点だった。だが、ほとんどの男子学生たちはその作業(敢えてそう書く!)に少し経つとうんざりし始めた……当然だ。その孤独な作業は満足するどころかただ惨めなだけだったからである。
 あの冷凍保存されていたというブツは、文字通り保健庁の遺伝子バンクに丁重に保管されていると聞いた。宇宙戦士の中には、自分が戦死しても子孫を残したいという思いで自らバンクにDNA保存を依頼するものもいるご時世だ。
(……俺が死んだら、あれがどっかで役に立つのかもな…) 
 ま、自分が死んだ後のことなんざ、どうだっていいけどな。

 ただ実際、地球を出発する前に彼ら「優秀な種馬」たちが受けて来たその虚しさ全開の保健の授業(いや、マインドコントロール?)は、ある意味では功を奏していたのだ。

 丸一年もの間、狭い艦内にむくつけき若い男たちが詰め込まれ、美しい畑…いや才媛たちを目の前に、据え膳お預けのまま…前人未踏の航海を全うしたのである。途中、イスカンダルで雪を拉致して脱走した男どもがいたが、ある意味では誰しもが心中で妄想し、必死に抑えて来たことだった……だからこそ、皆の彼らへの怒りはことさらに大きかったのだ。



 ともかく、イスカンダルへの旅路で、俺たちがああも徹底して驚異的な禁欲生活を貫くことが出来たのは、間違いなくあのえげつない教官の授業のおかげだったよな…、と島は思った。

(雪のヤツがあのすごいネグリジェ姿で非番を過ごせたのも、俺たちが獣になれないようにマインドコントロールされていたからだな、きっと)
 その証拠に、見ろ。
 目の前で、雪の寝巻き姿の画像データを持っていないかどうか、と南部をもみくちゃにしている相原と太田はどうだ…。あの頃だったら考えられないぜ。


 そこで島は、またくすり、と笑った。


「ああ畜生!雪ちゃんの処女は古代さんのものかあ!」
 唐突に、相原がそう叫んだ。だったらせめて俺たちにスケスケネグリジェ姿をお恵みくださってもいいじゃねーか!
「……相原」
 島は頭を抱え。ついで爆笑せざるを得なかった。その相原の言葉はあまりにも明け透け過ぎたが、まさに今、自分が脳裏に思い浮べたものと同じだったのだから…。

「島さん、なーにカッコつけちゃってんすか!自分だって気になるくせにっ無理しちゃって、このムッツリスケベ!!」
「…んだとぉ」
 寸でのところで、俺は見たことあるんだぞ、と言いそうになる……が、そこはグっと堪え。
「…お前なあ…。でも、ここから釈放されたら、好きなだけ女とデートできるじゃないか。なんたってお前、あのヤマトの通信長、だろうが」
「へ?」
 そっか、そうですよね!もう禁欲生活とはおさらばだったよ!!
 でへへへへ〜、イイこと言いますね!このこの!!

 そう我に返り、邪な笑いを見せる相原を横目に、島はまた考える…(でも、雪ほどの女はそうそう手に入らないだろうけどな)……と。


 ——畜生。

 


           *         *        *

 




 さて……、あの男臭いケダモノじみた病室にいたら精神的に腐り果てちまう、と思ったわけではなかったが——

 島はポケットに小銭を入れ、新しい電子ニューズウィークの記事をダウンロードしにロビーへと向かった。南部から「ロビー付近は記者が溜まってるから気を付けた方が良いですよ」と聞かされていたので、一昨日売店で買った眼帯を左目に着けてみる。

(おお、少年A)

 厳密に言えばユニセフネクストの規定する「少年」とは18歳未満、を指すのだが、自分だってついこの間までまだ18だったのだ。目の部分を隠せばこれほど人相を特定できなくなるなんて面白えな、と壁の鏡に映った自分を見て悦に入る。

 良く磨かれた床が広がる一階のロビーの隅には、幾つかのドリンクのベンディングマシンとニューズウィークのダウンローダーがあった。傍らにびっしりおかれた長椅子に、外来患者に混じって新聞だかテレビだかの取材記者と思しき男たちの姿も見える……
 さり気なく彼らに背を向けながら、島はベンディングマシンに近寄った。

 ……先客がいる。

(……手が届かないのかな?)
 パジャマ姿の男の子が、ニューズウィークのダウンローダーに自分のIDチップを入れようと、車椅子に座ったまま一生懸命手を伸ばしていた。
 車椅子は、病院内に備え付けの、数少ない自力走行型である… 普及している反重力装置付きの車椅子ならどうということのない高低差でも、仕方なく旧式を使うしか無い患者にとっては大問題だ。

 男の子の手は、あともう数センチのところで届かない。行き交う大人たちは誰も気づかないのか…、みんなどうして手伝ってやらないんだと口を尖らせつつ、島はそちらに歩み寄った。

 


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