SNOW WHITE (4)

*****************************************



 看護師は途端に頬を染めた。

「ヤ…ヤマトの航海長さんですよね…?!」

「あ…あはは、まあ…」

 好意剥き出しの反応。そりゃまあ…悪い気はしないが、……でも……なはは……

 

 ああああ、す・すみません!
 特別室からは遠いでしょうに、お身体の方はもう大丈夫なんですか?!

 看護師のしどろもどろの台詞に、ちょっぴり苦笑をかみ殺しながら。島は言い訳した。
「僕が、手伝っちゃったんですよ。……その、ロビーでウェブニュースを買っていて、歩くんと会って、そのついでにここへ」
「ウェブニュース?」
 看護師は はあ、と合点がいったように視線を落す。
「…僕にも小さい弟がいるんです。それで、つい。段差を越えるの、手伝ってあげて、ついでにここまで連れて来ちゃった」
 余計なお世話でしたね、ご心配かけてすみませんでした…

 看護師はいいえ、とかぶりを振った。

「……あの、ともかくその……有り難うございました。わ…私、この子を連れて戻らなくてはならないので、これで……」
 ええっと、車椅子かなんかお持ちしましょうか、大丈夫ですか?!と取って付けたように彼女が言ったので、島はいや、と首を振る。

「そうだ…、そんなことより、一つ訊きたいことが」
 看護師に聞いて分かるものだろうか。そう思いながらも声を落として切り出した。

 

「…あの、…この子のお父さん、ヤマトクルーだったというんです。…消息不明って話ですが……それはともかく、この子の治療はどうしてるんですか?…もっといい薬や治療が受けられるはずじゃありませんか」
 彼女はハッとしたように口元に手を持って行った。「…ご存じないんですか」
「何を」
「……法律が…変わったんです」

 被災者が多過ぎて。

 軍人でも軍属でも、当人だけしか疾病傷病手当ては受けられなくなっちゃったんです。ご家族でもご遺族でも、…軍人並の医療が享受できますというのは、もう…昨年までの話で…。
「だから、父親がヤマトクルーでも… あの子の場合は」
「そんな…」
「……お気持ちはわかります… 私たちも、悔しいですもの」

 愕然とした様子の島を、恐る恐る下から覗き込みながら…看護師は言った。
「…コスモクリーナーDが、地上と大気を清浄にしてくれていますから、今後また…状況は変わると思うんです。あの深刻な放射能汚染の除去が、あれほど迅速に完璧に進むなんて、ほんとに夢みたいですもの。…これもみんな、ヤマトの皆さんのおかげです…!」

 島は顔を上げた。そう言われても、釈然としなかった。俺たちは、ただ闇雲に闘い、「あれ」をもらって帰って来ただけだ。足元に目を投じれば、こんな小さな子一人、幸せにすることもできやしない……


「じゃ、またね、お兄ちゃん」
 バイバイ、歩くん。
 

 ヤマトのメインクルー、しかも航海長に思いがけなく出くわした幸運を、担当患者に邪魔されたその看護師は名残惜しそうだったが。
 島自身は急に突き付けられた過酷な現実に、予想外に気持ちを乱されていた。市民たちの戦争は、終わっていない。…そして、今。
 ヤマトクルーといえど俺たちは。

 これ以上、何も……できないのだ。



 ——翌日。

 まるでベテランの看護師たちに見つかったらお仕置きされる、とでも言うような不安顔の看護師……昨日歩を連れて帰った例の彼女が、自分たちの特別室のドアの所に現れたのを見た島は、ちょっと困惑した。

「……島さん?島さんに用なんじゃないですか、あのナース」
 南部がニヤニヤしている。
 相原は半眼になって口をアヒルみたいに尖らせた……フン、女なんか興味ない、って顔しちゃってさ…島さんてば。なに、あれ?

「…さあ、知らねえな」
 一応、しらを切ってみる。本当に彼女の名前すら知らないんだから。

「準看かな、彼女。訓練生、ってとこですかね」なんか困ってるみたいじゃないですか…じゃ、ボクが用向きを聞いてきましょうか?
「ああ、分かった分かった!」
 南部にコナをかけさせるのはさすがに癪だ、と反射的に身体が動いた。


「……どうしたの?何か用?」
「あの、す、すみません…」

 看護師はよく見れば、なかなか可愛らしい感じである… 背後で相原と太田が飢えた野獣みたいな顔をしているのを感じるから、半開きになったスライドドアに片手をついて、奴らから彼女が見えないように立ってみた。
「あの、昨日の…歩くんのことで」
「歩くん?」

 彼女は別段ヤマトクルーにサインをもらおう、とか思っているわけではなさそうだった。色んな口実を作ってこの病室に来たがるナースが多いので、彼女の目的がそういう類のものであるか否かはすぐに分かる……
「歩くんが…どうしたんです?」
 聞き耳が3つ、こっちに伸びている。
 島はチ、と舌打ちして振り返ると「詮索すんな」と目で牽制し、彼女を引っ張って病室の外へ出た。



 病室から1ブロック離れたフロアのロビーで、看護師はちょっと深刻そうな顔をして切り出した。

「……あの…。昨日のニューズウィークに」
 島が手伝って買ってやった新聞記事。
「…あれに、あの子のお父さんの名前が…… ありました」
「………!」

 戦没者名簿に、今も刻々と加えられつつある戦士の名。

「シティ・ウエストの病院に収容されていたみたいで、最初は負傷が酷くて身元が分からないくらいだったそうです。……でも、生きていらしたんですよ、つい最近まで…」
「そうですか…」
「お父さんが生きていたのに。…歩くんと、会わせて上げられなかったんです、…私…。悔しくて」
 思わず涙ぐんだ彼女に、島はかける言葉もなかった。

 だが歩くんがいくら担当患者でも、そこまでしてやる義務は、彼女にはないはずだ。
「あの、でもそれは…あなたのせいじゃないでしょう?」
「ええ、それはそうです、でも」
 看護師は手の甲で涙をぐいと拭った。息を吐いて顔を上げる…その痛々しい、しかし気丈な姿に島はほんの少しドキリとした。
「歩くんは、私の、初めての担当患者さんだから、つい」

 准看護師、って言ってたっけな。要は見習いか。…場数を踏んでいない。そうか…。

「…あの子。……これで身寄りが無くなっちゃったんです。孤児になっちゃった……」
 彼女はきっと、姉のように親身になって歩くんの面倒を見ているんだろう……。何十もの患者を担当せざるを得なくなると、たった一人にこれほど心を割いている時間も余裕も無くなって行くに違いないが、こんな風に親身になって世話してくれる看護師は、患者からしてみれば心強い存在だ。悪い事じゃない。


 向き合って話している2人の後ろを、このフロアの医師の一人が「はて」という顔をして通り過ぎた。

 涙ぐんでる彼女と、俺。…なんか、別れ話でもしてるみたいじゃないか……

 人目が気になる程度に冷静さを取り戻した島は、慌てて彼女に言った。
「…でも、あの。あなたがそんなに悩むことはないんじゃないかな。養護施設も整備されているだろうし、身寄りのない子どもは…それこそ、たくさん」
「それは…そうですけど…」
 彼女は、懇願するように続けた。

「あの、島さん、歩くんに言ったんですよね?お父さんのこと僕が調べて上げようか、って?ヤマトに知り合いがいるから、なんとかしてあげよう、って?」

 
……あ。

 言った。
 俺、歩くんに……そんなようなことを言った、確かに。

(しまった)と内心後悔する。何を、どうしてやるつもりだったのか。だがああ言ったときは、単に……藤原実、というクルーに付いて、その安否を確認してやろう、と思っただけだったのだ。

「……子どもって、大人を信用します。…ううん、まだあの子は裏切られていないから、あたしたちを信用してくれるんです。何度も裏切られた子は、もっと荒んで行きます…… 歩くんは、まだ…信じてる。大人を、信じてるんです」
 あなたが、なんとかしてやる、って言ってくれたから…。
「無茶なお願いだってことは、分かります。でも」
 彼女は両手をぎゅっと握り合わせ、そのまま、島に向かってがばっと頭を下げた。
「島さんは、ヤマトのトップクルーです…!お立場上、色んなことが、出来るはずです。あ…歩くんを…施設にやらない方法を、考えて欲しいんです!!…虫の良いお願いだってことは分かってます、でも、どうか」
「ちょ、ちょっと待てよ…!」

 島にはまだ、全体が飲み込めていなかった。俺にどうしろって言うんだ、施設にやらない方法って、一体なんのことだよ?

 背後の通行人が、またちらちらとこちらを見ているようだ。何事かと思われているに違いない。

「……あのさ、ここじゃなんだから、場所変えよう」
「えっ」

 

 歩くんをなぜ彼女がこうまで世話したがるのか。戦災孤児に用意されているはずの施設にも、何か問題があるんだろうか。

 だが、一方的にどんどん話を進められては困る。ここまできたら事情を聞かないわけにはいかなさそうだが、一体俺に、何が出来るっていうんだろう?

 

 島はそう思いながらも、肚を決めた。


*****************************************