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雪乃のお腹が派手に鳴るので(笑)、ふたりは笑いながら目についた近くのラーメン屋に入った。
行き当たりばったり、匂いに釣られてのれんをくぐる。こういうのが、案外美味しくて楽しい。屋台に毛が生えた程度の店だったが、店主のオヤジはすこぶるいい腕で麺もスープもそこそこだ。
「…けど、次逢う時は、もうちょっといいトコに食べに行く?」
「…島さん、シッ」
カウンターでそんな話しちゃダメよぉ、と雪乃はクスクス笑った。
「…でも、また…逢ってくれるん…ですね…」
笑ったかと思えば、レンゲに乗ったチャーシューを見つめながら頬を赤くしている。僕はこっちだ。それはチャーシューだよ?
そんな雪乃がおかしくて、島もクスクス笑った。
「うん。楽しいよ、君といると」
「……歩くんも、連れてきたかったな…」
ふいに、思い出したようにそう言った雪乃に、島もそうだな、と頷く。
「歩くん、…まだ退院できないの?」
「…ええ。内臓の機能不全で点滴が欠かせないんです。…左目も、もうほとんど見えていないみたい…」
「……そうか…」
雪乃は「でも」と付け加えた。
「身体が悪いうちは、施設へは入れられなくて済むから…。不自由だけど、辛い思いは…しなくて済むわ」
「………」
何か、出来ることはないんだろうか。
言っても詮無いこと… それは解っている。
だが、そう『言う』だけでも、一種の罪滅ぼしになるような気がするのだった。正直そんなのはただの自己欺瞞にすぎないのだが…。
だから、雪乃が躊躇いがちに「帰りに歩くんの病室に寄ってもいいかしら?」と言った時、島も即座に「うん、そうしよう」と賛成したのだ。
ジュウクの自分に出来ること、といえば。
青い空を見たがっていた歩に、今日見た本物の青空のことを話してやる… そして身体の不調を押して頑張っている、あの小さな友人を励ましてやる。その程度のことしか、多分…ないのである。
* * *
「…雪乃おねえちゃん!…島さん!!」
小さなケーキをお土産に。
面会時間を過ぎた歩の病室へこっそり立ち寄った島と雪乃に、歩は大喜びだった。
「シ〜〜ッ、怒られちゃうから静かに…!」
子どもばかりの6人部屋だ。
今になって、島はなぜ雪乃がミニケーキを6つも買ったのか、腑に落ちる。まったく持って当たり前だが、歩だけにケーキを振る舞うわけにはいかないからだ。
「みんな、お願いだから静かにね…!!」
ないしょだよ、と言いながら、ベッドにいるパジャマ姿の子供たちにケーキをひとつずつ配る。
「わーい!!」
もらった途端にかぶりつく子、しげしげと眺めてから端をぺろっと舐めてみる子。雪乃ではなく、島の方をぽかんとした顔で見ている子。皆、5歳6歳、といった年回りである。…6つのベッドからこちらを見て満面の笑みを浮かべている子どもたちは、だが皆……痛々しい姿だった。頭に包帯を巻いている子、片腕を吊っている子。脚が動かない子、起き上がれない子。
歩だけではないのだ。ここに居る子どもたちは全員、爆撃と放射能に苛まれ、いまだにこの小さな身体で戦っている最中だった——
そう思った途端また。
島は、子どもたちの無垢な笑顔に圧倒されそうになる。
ここへは何度来ても辛くなる、胸が潰れるような気がするのだ……
(ごめん…。ヤマトは… 地球に青い空を取り戻したかもしれないけど、…君たちの健康を取り戻すことまでは…)
そうして、またしてもそう心の中で謝っている自分に気がつくのだった。
一度遊星爆弾による放射線に蝕まれた身体は、そう簡単には元には戻らない。蓄積した放射性物質の量が多ければ、それを体外に排出するまでに長い年月がかかる。蓄積された放射能は身体を内部から蝕んで行く。数世紀前とは違い、それを食い止めるための高価な特効薬も開発されている。だが、軍は今、その治療薬を軍関係者優先に振り分け、ごく限られた特権階級でもなければ民間人には手の届かないものにしてしまった。無論、彼らのような子どもたちにそれが与えられることはない。
しかし、笑顔でそんな子どもたちに応えている雪乃を眺めていて、島は心底脱帽した。
(……医療に携わるキミたちは…本当に強いな。…雪に対してもそう思ったことがあるけど… この病棟は、病院の中でも一番辛いところだろうに…)
大人の患者たちに、テキパキ相対している森雪のことも、すごい…と幾度となく思ったものだ。
だが、雪乃の担当している子どもたちを見ていると、彼女の仕事はもっとずっと精神的に強くあらねば、到底務まらないような気がして来るのだった。
しばらくケーキを黙々と片付けていた歩が、突然「ああー!」と声を上げた。雪乃がすかさず怖い顔をする。
「歩くん、シーッ!!」
雪乃は慌ててドアの方を振り返った。
こんな時間にこんなおやつを勝手に持って来たこと自体もそうだが、一緒にいる人が問題だった… 島と一緒の所を他のナースに見られでもしたら、一大事である。
だが、歩はそんなことにはおかまい無しだ。
「ねえねえ!島さんと雪乃おねえちゃん、もしかしてデートだったの?」
「えっ」
「だって、可愛い服着てるもん!」
「やだっ、何言ってんの、あゆむクンッ」
「あー、ほんとだあ」
他の子どもたちも口々に言い出す。
歩はミニケーキを頬張りながら、これ以上はないというくらい嬉しそうに笑った。
「ねえねえ、けっこん、するの?するんでしょ?!」
「はっ?!」
ななななにを言い出すのよ……
「あのひとね、島さん、ていうんだよ!!」
歩が嬉しそうに言ったものだから、子どもたちはいっぺんで彼の名前を覚えてしまったようだ。島の方も、一応面食らう。困るなあ、キミたち……(笑)。
「歩くん、ちょっと待てよ…」
「わ〜〜、照れてる〜〜」
「ななななにいってんのよ、島さんに失礼でしょっ」
「赤くなった〜〜〜」
「やめなさいってば」
「わーい、けっこんけっこん〜」
「シーーーーーーッッ!!!」
あたしが怒られちゃうじゃない、しーずーかーにーしてぇーー!!
婦長さんがでっかーーい注射器持って、来るわよ!!いいの!?
顔を赤くしながらも雪乃が言った必死のひと言は、てきめんだったようだ。
さて…ひとりひとりのベッドの上にケーキの包み紙や、クリームの残骸が落ちていないことを確かめてから、雪乃は部屋の中央に屈んで小声で話を始めた。さながらその姿は、白雪姫と7人の小人(ここに居る子どもたちは6人だが)…といった風だろうか…?
「…今日ね、お姉ちゃん…本物の空を見て来たんだ」
「………プレイルームのテレビでも見たよ」
一人が、相槌を打つようにそう言った。
「雲が、一個もなかった」
「…そう、全部、青いの」
「でも、ちょっとしたら雲が流れて来たんだよね」
「うん、白いのと、薄いの」
「ねえ、どうして雲は動くの?」
それはね……
雪乃が、(この説明はあなたの出番よ)と言うように振り返ったので、島も声を落として、そこへいっしょに屈み込んだ。
雲が流れるわけはね…。地球が回りながら、風を起こしているからなんだ。でも、まだ地球の空は完全じゃない…だから、風の具合も変なんだ。海が戻ってくれば、いい風が新しく生まれるようになる。
「そのために、これから他の星から奇麗な水や土を運んで来るんだ。そうしてもう一度、海を作るんだよ」
数週間後には…。
資源輸送艦隊、宇宙の運び屋としてまた、島は宇宙に出て行くことになっている。
「すごおい」
「かっこい〜」
「島さんはヤマトの運転手だったんだよね!」
歩が得意そうにそう言った。まるで、我が事のように。
……島も、笑って付け加えた。
「歩くんのお父さんも、ヤマトで大事な仕事をしてくれていたもんな」
「……うん!」
誇らし気にそう頷いた歩の頭を、くしゃっと撫でる。
「僕も、大きくなったらヤマトに乗るよ!」
勢い込んでそう言った歩に、他の子どもたちまでが声を揃えた…「僕も!」「…あたしも」
こんなに小さい子たちまでが戦艦に乗ることを希望している事実が、胸に刺さる。…だが、島は頭を軽く振ると見方を変えることにした。
「……そうか。よし、じゃあ…みんな、大人になったらしっかり頼むぞ。ヤマトも地球を復活させるために、いつまでも戦うと思うよ。色んなものを運んだり、危ないものからみんなを守ったりしてね…!」
ただ励ますために。
…ヤマトがそのために役に立つのなら。
笑顔で子どもたちにそう言って聞かせる島を見て、雪乃も嬉しそうに微笑んだ。
* * *
「……ごめんなさいね、変なことに付き合ってもらっちゃって…」
「いや」
どうにか他のナースたちに見つかることなく歩の病室を出て来た二人は、駐車場へと院内のコンコースを戻っている所だった。
「雪乃お姉ちゃんは、人気者だね」
「やだ」
「好かれてるじゃないか。…いい看護師さんになれる…いや、いいお母さんかな?」
え、やだあ…、と照れて俯いた雪乃に、イヤ君は本当にいい看護婦さんだよ、と島は思った。
自分だったら… 耐えられないな…。
同時にそうも思う。
身寄りのなくなった、身体の不自由な子どもたち。完治することのない疾病を抱えて、孤児として生きていくしかない歩。
(……あの子たちを親身になって世話して、それでも笑顔でいられる君は。…宇宙戦士の俺なんかより、はるかに……強いよ)
森雪に対して抱いた尊敬の念を、同じように雪乃にも感じる。
命を紡ぐ仕事に就く女というのは、…なんて…強い生き物なんだろう。
「島…さん?」
どうしたの?と言いたげに雪乃が島の顔を覗き込んだ。
「ん?…なんでもない」
笑って誤摩化す… さ、そろそろ家に送ろうか。
「はい。…でも、待ち合わせた駅でいいです。私んち、…その、つまり…あの病院の寮だから…」
肩を竦めて雪乃は笑った。友達や先輩に一緒のとこ見られたら、大騒ぎになっちゃうもん。
「…そっか」
地下の駐車場に出た。遅い時間だからだろうか、他に人のいない構内は妙に音が反響して聞こえる。だから声を落として、雪乃は続けた。
「実は大変だったんですよ?…歩くんの件で、私が何度か島さんと話をしてたでしょ。そしたら、先輩たちにすっごい睨まれちゃって」
何回か、嫌がらせとか、されたの…
「そうなんだ…」
ちょっと、アゼン。
なんか、せっかく抱いた尊敬の念とか、白衣の天使のイメージがガラガラと崩れるような気がした。彼女たちも、誰に対しても博愛精神で生きてるわけじゃ…ないんだ…
「特に、あたしは准看だし下っ端だから…。ホントはね、先輩にあんたなんか島さんと釣り合うわけないでしょ、って言われちゃったんだ…。ま、それは実際、そーなんですけどねっ…」
だが、てへへ、と苦笑した雪乃に島は(それは違う)と思った。
「…釣り合うとか釣り合わないとかって、そんな風に考えるのはおかしいだろ」
「そりゃ…そうかもしれないけど…でも」
「僕は、そんな風には君を見てないよ?」
「…島さん」
ありがとう。
はにかんで俯いた彼女に思わず「きゅん」となる。
人がいないから?
まあ、そうだったのかもしれない。
…それに。
今日一日ずっと一緒にいたのに、俺は君の手と…肩しか、触ってない。
それなのに…
もう君を帰さなくちゃならない、——だからそれが…。
「あっ… えっ……」
駐車した車と車の間で、島は雪乃を抱きしめていた。
島大介と沢渡雪乃は釣り合わない…なんて言ってるやつに。
なんなら俺が、言ってやる。
「…沢渡さん、…好きだ」
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