SNOW WHITE (10)

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 しかしやはり、雪乃がどうしてもここでいい、と言い張るので、結局待ち合わせたチューブの駅で島は彼女をエア・カーから降ろした。



 抱き合ったのが車の中だったら… きっとキスくらいできたんだろうな。

 さっきは雪乃がめちゃくちゃに狼狽えたので、つい彼女を抱きしめた腕を放してしまったのだ…

 うーん。詰めが甘いかな。

 頬を赤くしたまま黙っている助手席の雪乃を、何度か横目で盗み見た。
 さっきの、あれは。
 嫌がってた…わけじゃ、ないよな。
 …うん。

 だが、初日にそこまでガッつくな、と自分を抑えた。抱きしめられて狼狽えて、俺を突き放してしまったことを雪乃が後悔していたとしても、こっちからは…やり直しはするまい。なにせ。島大介はジェントルマンの航海長…って言われてんだから。イメージは大事にしないとねっ、なんて。


 エア・カーの窓から、雪乃を見上げる。正直言うと、この後に及んでもまだ彼女を帰したくない、と思う……
「今度は、ちょっと遠くまでドライブ行こうよ」
「…あ…うん。…じゃあ、また次の火曜日に…」
「ん」

 笑って島は、「そうだ」とひとつ付け足した。

「あとさ。…島さんって、さん付け… やめない?」
「え…」
「…僕も、沢渡さんって呼ぶのやめるよ」
「…………」
「雪乃…おねえちゃん、でいいかな」
「…!!」
 途端に赤くなった雪乃の頬が、ぷうっ、っと膨らんだ。「おねえちゃん、なんて…」
 あはは、ウソウソ。雪乃は俺よりひとつ年下だもんな。
「もう… 島…くんってば」

 クン、付けか。
 ……森雪にそう呼ばれていることを思い出し、それも悪くないな、と頷く。


「……雪乃」
 呼び捨ては、駄目かな。
 そう思いながら上目遣いに彼女を窺うと、
「おねえちゃん、ってつけたら怒るからね?」
 うふふ。笑いながらそう彼女が言ったので、島も笑い返した。
「……じゃ、雪乃。……おやすみ」
「おやすみなさい、…島くん」
「気をつけて帰れよ?」
「うん」

 手を振って、改札に続く階段を上る後ろ姿を見送った。

 …ふと。

 古代に対して、妙な焦りを感じていた自分が滑稽に思えた——。
 確かに…森雪は女神、かもしれない……けど。
 この俺が手に入れるならあれ以上の上玉しかあり得ない、そんなこと考えていた高飛車な自分の鼻っ柱を、へし折ってやりたい……なんて思った。
 女の子は、俺の自尊心を満足させるための装飾品じゃないんだ… 
 そんな当たり前のことに今さら気づくなんて。
 今までの俺には、誰かを愛する…なんて資格がなかったな。

 ——雪が古代を選んだのは、当然の成り行きだったんだ。


 雪乃を見ていて古代の顔を思い出すなんて、一体どういうこったい、と自分に苦笑した。

 古代って奴は不思議なことに、何をしてても見返りを期待して動いているわけじゃないんだよな。俺からしたら、無駄だとも鬱陶しいとも思えるような誠意だの、情熱だの。そんなもんを、いつでも周囲にまき散らしている……だが、子どもたちに対して掛け値無しに愛情を注ぐ雪乃の姿がそれに被るのだ。

 愛することで、自分も満たされる。

 そうか…それを生まれながらに知っているんだろうな、あいつも、……多分雪乃も。



 (?……なんなんだ) 

 雪乃に抱いた親近感が、古代(あいつ)のおかげだなんて思いたかねえぞ?

 そう思い、島はあらためて…苦笑した。



         *           *           *

 


「お帰り〜〜大介兄ちゃん!!」
 我が家の玄関を入ると、パジャマ姿の次郎が待ってましたとばかりに迎えに出て来た。

「遅かったね!お土産は?」
「ごめん、今日はナシ」
「なんだぁ〜…」
 そういいながら、次郎は兄のジャケットのポケットに手を突っ込む。
 大体いつも、兄の服のポケットにはお菓子とか、小さなオモチャとか、が入っていたから。
 長期休暇を取っている今はそこまでしないでいたが、島は普段休暇で家に帰る時はよく、ホールドアップの形であちこちのポケットから次郎に『お土産』を見つけさせるゲームをしてやっていたのだ。

「どうかな、ガムくらいならあるかな…?」
「あった!!」
 やったー、と言いながら、次郎は反対のポケットからガムの包みをひとつ掴み出し、バンザイする。
「もう歯磨いただろ?食べるのは明日にしろよ?」
 わかってるよお!
 次郎はにやっとすると、ガムを自分のパジャマのポケットに突っ込んだ。

「ねえねえ、肩車して!」
「兄ちゃん、疲れてるんだぞ…しょうがないなあ」
 苦笑いしながら、それでも弟をひょいと肩車。
「次郎お前、もう寝る時間だろ!」
「ベッドに降ろしてぇ」
「はいはい」
 次郎の頭をドアの上部にぶつけないよう、屈んでくぐり抜ける。肩車をしてやっている次郎の手がぺったり届くくらい、この部屋の天井は低い。

 メガロポリス中心部、防衛軍司令部からも遠くない軍官舎の一画にある我が家。ヤマトクルーの家族、ということで、島の一家はそれでも比較的ゆったりした部屋をあてがわれている。
 とはいえ、2LDKのアパートのようなものだ… 次郎のベッドは母と共同。父母と次郎は一部屋に寝ているのだった。
ヤマトでの旅の間、自分の部屋はなくなった。父は今、遠慮して俺のために書斎を空けてくれている… そんな必要、ないのにな。俺はリビングで寝るからいいよと言っても、父は承知しなかった。

 帰還してみると、我が家は出発前とはまるで違う場所にあった。企業役員の父の収入でも、市街にある公共住宅地では安全な物件を手に入れることは難しく、結局軍の家族用官舎に落ち着くまで、父母と次郎は3回も転居を繰り返したのだった。
 それでも、この官舎もひとつのフロアの天井は閉塞感を覚えるほど低く、長期間の居住には不向きだろうと思われた… 防衛軍本部の方が、ずっと天井が高くて開放感があるくらいだ。

 島は、ベッドに飛び込むように降りた次郎に笑いかける。

 ……待ってろよ。兄ちゃんが、皆をここからすぐにもっと広い家に連れてってやるからな。


「ねえねえ、今日ね!」
 次郎がベッドの上で跳ねながら言った。
 おいこら、埃が立つからぴょんぴょんするな。 
「今日ねっ、古代さんが来たよ」
「古代が?」
「うん。兄ちゃんいなかったから、お父さんとお母さんに挨拶だけして帰ったけど」
「……あいつ何しに来たんだ」
「奇麗なお姉さんと一緒だったよ。結婚するんだって」
「…………んだと」

 途端に楽しい気分が吹っ飛んだ。
「…結婚するって、あいつが言ったのか?」
「うん」



 またしてもあの野郎。

 ……雪乃というガールフレンドをゲットして、何だか清々しく考え方を変えたつもりだったのだが……

 なんなんだ、この……『してやられた感』は。


「…そう。じゃ、兄ちゃんからあいつに電話しとくよ」
「お姉さんからお菓子もらったよ。キッチンの黄色い箱のやつ。美味しかったよー、兄ちゃんの分も残してあるからね」
「はいよ、ありがとな。…もう寝なさい」
「はーい…」


 次郎をベッドに押し込んで、掛け布団で包んでやりながら。
 島はどうにも仏頂面になるのを押え切れなかった。


 …結婚するだって?

 あのバカ。
 なんでそんなこと、わざわざウチへ言いに来なきゃならねんだ。

 ……勝手にしたらいいだろうが…結婚でもなんでも!!
 

 


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