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その週の終わりに、元ヤマトの乗組員たちに新しい辞令が下った。
コスモクリーナーDは全世界で50台以上が複製され、大気の浄化、次いで土壌から汚染を取り除く段階へと、急ピッチで作業が進められている。そして、それらはついには地下に魔の手を伸ばす汚染をも、徐々に取り除き始めていた。
戦前の地形を元に、新しいメガロポリスが創られる……
そのための新しい土や水を、他の惑星から運び込む計画が着々と進められているのである。
長かった休暇がもうじき終わる。
新たな任務に就くまでに、あと14日間。
朝食を食べながら、次郎はちょっとつまらなさそうな顔で訊いた。
「ねえ、大介兄ちゃんは今度はどこまで行くの?」
「…第10輸送艦隊だから、木星と土星だな」
「ヤマトじゃないんだね」
「ああ、ヤマトは太陽系外周警備艦隊に配備される。15輸送艦隊の護衛だな。古代と相原と太田は、また一緒にヤマトに乗るらしいよ」
ふうん…。
「兄ちゃんは何をするの?」
「氷を運ぶんだって」
「こおり?」
正確には水素と窒素の塊、である。木星の、4つの衛星——ガリレオ衛星にはそれぞれ現在防衛軍の基地が建設されている最中であり、そのうちのひとつエウロパには、氷の外殻の下に液体の水が確認されている。土星の衛星タイタンもそうだった。液体メタンの表層の下に、莫大な量の炭素と窒素が眠っているのだ。
「あっちこっちから少しずつ氷をもらって、地球に新しく海を創るんだよ」
「海?」
ああ、うみか。なるほど〜。
訳知り顔で頷いた弟に、兄はぷっと吹き出した。
次郎は、本物の海だってまだ見たことがないのだ。…この子が物心ついた時には地球の海はみな干上がり、跡形もなく姿を消していたのだから。
次郎は再開した学校の授業や、家にある電子ライブラリの映像でその存在を知っているに過ぎない。
「さ、急ぎなさい」
母が次郎を急かした。そろそろ出ないと、学校に遅れるわ。
わかったよう、と言いながら、次郎はノロノロとトーストを口に押し込む。
歯も磨かないと駄目よ?
わかってるよう…。
コーヒーのカップをテーブルに置いて、忙しなく動き回っている母に声をかけた。
「…母さん、今日は僕が次郎を送って行こうか?」
「あら…いいの?大介あなた、病院行くんじゃないの?」
「今日は最終検査だけだから、次郎を送ってから行っても間に合う」
「ホントに?」
助かるわ〜、母さん遅れそうなのよ…
「ほら…今日は、森さんのお宅にご挨拶に上がらなくちゃならないから」
美容院予約してるの!
「……しっかりね」
晴々とした母の笑顔を見ながら。長男は苦笑して肩を竦めた。
仲人か。
(俺の時は、一体誰に頼むつもりだろ?……)
あんまり考えたくないな。
…土方教官ご夫婦とかか?
…やだやだ。
わーいやった〜、兄ちゃんの車だ〜〜!と喜ぶ次郎の頭をくしゃっと撫でて、「ほら急げよ」と自分も上着を取りに自室へ戻った。
次郎を小学校へ送り届け、「あーヤマトの航海長さんだー」という1年生たちの声に手を振り。
得意げな次郎の背中を見て笑うと、島は中央病院へと車を向けた。
今日は、彼女は前の晩からの夜勤のはずだ。午前中に自分自身の検査を済ませれば、午後1時には雪乃と一緒に帰れるはずだった。
雪乃の勤務が明ける時間まで、ぶらぶらと待つ。
「先輩に睨まれるから」
雪乃がそう言うので、付き合っていることはもちろん内緒である。
雪乃の身体に残るケロイドは、自分が出発する前にちゃんと美容専門の形成外科を受診してもらい、帰還までに治療してもらおうと考えていた。彼女は治療費を受け取ろうとしないかもしれないが、それなら力づくで引っ張って行っても治療を受けてもらうぞ、と島は思った。
……だが、その日の雪乃は、前にも増してどこか様子がおかしかった。
中央病院の外来用駐車場の隅に島のエア・カーを見つけ、小走りにやって来た彼女は目の下に隈を作っている……
「ごめんなさい、待った?」
「…どうした?なんか疲れてるね」
「え? …あ…うん…平気」
「明日は休みだろ?まあ、ゆっくりしようよ」
「…うん」
生返事は疲れているせいかな、とろくに考えもせず車を出した。
雪乃は黙っている。
……余程疲れているのかな。ちょっと寂しいけど、疲れているなら休んだ方が。躊躇いながらも訊いてみる。
「具合悪いの?…お昼ご飯食べたら、家に送ろうか…?」
ううん、と首を振ったのがわかった。
季節は初冬……
この地下都市にもその気配を感じるのは、ようやく一部の民間施設が地上ドームの建設を開始したためである。街のそこここに<ハッピーウィンター><地上で迎えるクリスマス>などといった3DホログラムPOPが踊っていた。
POPスクリーンに浮かび上がるのは、美しい紅葉。その景色が次第に針葉樹の林に変わり…そこへ降り始める白い粉雪の映像に変わる。街全体が地上へ出る準備をするため、都市内部の気温そのものを外気に合わせて低くし始めているのだった。
助手席に座る雪乃は、島がプレゼントした手袋をしている。
バックスキンを模して作られた手触りの、ほっそりしたシルエットの手袋だ。手首の回りには白いフェイクファーがあしらってある。
島の支給されたヤマトクルーとしての恩給を持ってすれば、彼女の欲しいものならなんでもプレゼントできる。しかし、雪乃はそれを喜ばない…高いものなんか要らないわ、というのでこの手袋も合成皮革の安物だった。
何にも要らない。
…島くんが居てくれるだけでいい。
そんなことばかり彼女が言うから、今までネックレスとかバッグとか女の子が普通欲しがりそうなものは何も、プレゼントしたことがない。…それはそれで、ちょっと寂しく思う島である。
ずっと黙っていた雪乃が、ふいに言った……
「島くん。あの」
「ん?」
「……お願いが…」
「…なに?」
お願い?
それは珍しいな、とちょっと嬉しくなって、彼女が続きを話し出すのを待った。
だが、それきりまた雪乃は黙ってしまったので、島はエア・カーをどこかに停めよう…と路肩に目を走らせる。
どうしたんだろう?
——お、公園発見。
その駐車場へ、車を入れる。
「…どうしたんだ、雪乃? 何か…あったの?」
先輩にいじめられたかな…?
移動式のドリンク・バーが目についたので、指差して「何か飲む?」と訊こうとしたが、雪乃はかぶりを振って小声で言った……
「…歩くんね。…明日退院なんだ」
「あ…」
——忘れていた。
エア・カーを停めた場所から、公園のプレイゾーンが見えた。公営のマンションに住む親子連れなのか、遊具の周囲には小さな子どもたちと若い母親。
(……拙いとこへ車着けちゃったかな)
そう思ったが遅かった。
車の外にはしゃぐ子どもの声を聞いて、雪乃はゆっくり顔を上げる。
走って行く小さな男の子がふたり。…遊具によじ上っている女の子、砂場で遊ぶ乳児。ベンチで談笑する主婦たち……
ごくありふれた光景だが、しかしあの子どもたちはガミラスによる侵略戦争を五体満足で生き延び、そして今こうして再び親子ともに無事、平和な暮らしを掴んだ……至極恵まれた子どもたちなのだ。
「…ね、お願いって…なんだい?」
仕方なく自分の方へ彼女の意識を引き付けようとした……ハンドルにもたれて、笑いかける。
雪乃は何かにひどく迷っているようだった。
お願いがあると言っておきながら切り出せずにいる。島は、彼女の肩に手を伸ばした。
「言ってよ。…歩くんのこと?」
抱き寄せた彼女の肩が、心無しか震えた。
「…学用品でもなんでも、君があの子に上げたいなら買ってあげる。遠慮しないで言ってくれ。…僕も…できるだけのことをして上げたい、って思ってるから」
雪乃は何か言いたそうに顔を上げる。
酷く思い詰めたような表情だ。
「島くん、私」
雪乃が苦労して絞り出した言葉に、
——島は耳を疑った。
「……私、歩くんを…引き取ろうと思うの…」
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