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雪乃が何を言っているのか、すぐには理解が出来なかった。
「……書類上?」
お父さん…?
車を停めた場所から、子どもたちが遊ぶ公園の遊具が見える。
問い直した島の瞳に真っ直ぐ答えることができず、雪乃はエア・カーの窓の外へ視線を投げた……
「…あたしは、未成年だから法律上歩くんを引き取ることが出来ない。…でも、ひとつだけ方法があるの」
彼女の右手が、膝の上でコートの裾を強く握りしめる。
「…婚姻届を出して、歩くんを引き取る、私と…あなたの子どもとして。あなたがお父さんになってくれれば、…歩くんを引き取れる。その後、すぐ…離婚届を出せばいい」
あなたの戸籍に傷が付いちゃうけど、…それ以外には絶対、迷惑かけないから…、どうか…、お願い。
…あなたの名前を貸して…!
歩くんを引き取るためだけに、形だけの結婚を……?
言葉を探しては突き当たり、開いた唇を閉じる。
「…ごめんなさい」
しばらくして……、雪乃が呟いた。
なんで謝る?
…それさえも訊けなかった。
返せたのは、たった一言だけだった。
「……考える時間を…くれないか…」
俯いて「ごめんね」と、雪乃がもう一度呟く。
聴き取れないくらい…小さな声だった。
* * *
部屋のベッドに寝転がり。
島は低い天井を見つめた……
——あの前人未踏の旅を成功させたのは、地球で待つ父を、母を、弟を救いたいという一心だった。
地球で待つ者のために生きて還る、家族のために戦う……。ヤマトで戦った誰しもが、その思いを少なからず持っていたはずだ。
少なくとも、この自分にとってはそうだった。
自分にとって何に代えても守りたいもの、守らなくてはならないもの…それが“家族”だった。
父の、母の、自分に対する期待や気持ちを裏切るなどということは決して許されない、と自分に誓って来た、それそのものが「何があっても生きて還る」と思うための原動力だったのだ。
ついさっき、母が言っていたことを思い出す…
(誰だってねえ、大事に育てた子どもなのよ。出来るだけいい相手といい結婚をさせて、幸せになって欲しいと思うじゃない?!)
それが母の幸せなのだ……であれば、その願いを叶えてやりたい、叶えなくてはならない、と思う…… それは、命を賭けて戦ってきたあの1年間の思いと同等のものだった。
…それなのに……
本気で言ってるのか……?
その島の問いに、雪乃ははっきりと頷いた。
まだ18歳の雪乃が、偽装結婚までして5歳の歩を引き取るだなんて、それ自体馬鹿げている、ムリがある、と島は彼女を説得しようとした。
金銭的問題ならいくらでもどうにでも出来る、歩くんをもっと条件のいい施設に移すよう、俺が行政に掛け合ってみよう、行政が駄目なら大企業に知り合いもいる、きっとどうにか出来る。そんな風にも持ちかけた。
だが……雪乃は首を振るばかりだった。
「ごめんなさい…。あの子は私にとって、…家族みたいなものなの。だから、…どうしても、そばにいたい」
……わかって……島くん。
雪乃はそう言った。
互いに支え合う孤独な者同士。
考えてみれば、俺と出会うずっと前から彼女は歩くんの世話をしてきた…… 生きるための心の支えとして歩を必要としているのは、雪乃の方なのかもしれなかった。
ごめんなさい。…ごめんね。
彼女がそう繰り返すのは、恋人よりも家族を選んでしまう、その自分を許して欲しい…という意味なのかもしれない……
そう思えば、雪乃がまるで自分を「歩と一緒にいるための手段」として利用しようとしているのだとしても、それを責める気にはなれなかった。
“書類上だけでかまわない”
“すぐ離婚届けを出せばいい”
そう言われたことは、確かに島を傷つけた… だが、それだって彼女の精一杯の気遣いなのだろうと察しがつく。
あんたなんか。
島さんと釣り合うわけないじゃない。
あたしの身体、汚いから……
……嫌いにならないで。
何も要らない、島くんがいてくれるだけでいい。
あたしなんかと…あなたが、
——付き合ってくれることが……嬉しかったの…
言葉の端々に埋もれていた、自分と彼女との世界の隔たり。
今になって、それに気付く。
(……でも俺は…そんなこと、かまわなかった)
だけど、彼女は違った。彼女の方からその隔たりを飛び越えてくることは、出来なかったのだ。
一番悪いのは、俺だな——。
島はそう思い、寝返りを打った……
転がったベッドから低い天井を、そして壁にかけられた数枚の写真や賞状を睨みつけた。
出発前に撮った、ヤマトクルーの集合写真。
帰還後に政府と軍から贈られた感謝状。
古代と沖田艦長と自分が一緒に写っているスナップ。
スーツの父と身奇麗な母、あどけない次郎の写真……
ここで雪乃を抱いたとき、彼女はこれらひとつひとつを見ていたに違いない。俺と深く関われば関わるほど、自分と俺との<隔たり>を強く感じるようになったのかもしれない……
わかった。じゃあ、書類上なんて言わないで、俺と本当に結婚しよう。
歩くんを引き取って、家族になって…一緒に暮らそう。
…すぐにそう言ってやれなかった俺が、一番悪いんだ、と思った。
いや、悪いとか、悪くないとか、多分そんなことでもないんだろう。俺自身、結婚と言われたってまだまるっきり実感が湧かない。彼女のことは好きだけど”恋愛”と“結婚”と“家族”とが、まるで融合しないんだ……
つくづく自分は、甘ちゃんだな、と思う—— 雪乃から、書類上でいい、お父さんになってと言われて、怖じ気づいた。そんな俺のことも、雪乃はきっと、ちゃんと解ってくれていたんだ……
デスクの上に置かれた写真の中の、親友の顔に目を留めた。
(……古代。雪が親と言い合って泣くほど、お前を好きだってこと…解ってるか? 雪は俺とは違う…… お前をもう、家族と同じほどに愛してるんだ。…いや…)
“家族”と言い争うほどに。
お前のためなら“家族”を捨ててもかまわないと思うほどにきっと……雪はお前を愛してる……
釣り合わないだとか、婿として相応しくないだとか。
そんなことを色々言われるだろうが、……頑張れ。
雪ひとりを戦わせるな。
……自分は彼女とは釣り合わない、なんて間違っても思うな。
——自分に出来なかったことを、あいつがやりおおせるたび、悔しくて仕方がなかったくせに。
写真の中の古代を見ながら、島は思った。
出来るなら……
自分が越えられないと思うこの<隔たり>を、あいつに……越えてみせて欲しい……と。
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