(11)
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「……ありがと… 島くん。…嬉しい」
「…い…いや」
雪乃は、一度選んだ歩の服を丁寧に店の棚に戻した。
「弟さんの服、いいの…?」
「あ、ああ!」
「…本当に、すごく助かるわ…」
モールから島の家のある軍官舎に向かう車中で、助手席に座る雪乃が呟いた。
「……歩くんね、来月の5日に施設へ移動することが決まったの。…病状が安定しているし、施設の方が病児の受け入れもしてるところだから」
「そうなんだ」
「だから、その時に持たせてあげたくて。あの子、ろくな服持ってないから…」
病児の受け入れもしている。
それなら、施設としては比較的条件の良い所なのではないだろうか。島はそう思い、少し安心した……のだが。
「病児の受け入れをやってる…って、どういうことだと思う?」
急に真顔で、雪乃がこちらを見た。
前方のジャンクションの信号が変わる。再び流れ出した車の列にスピードを合わせるため前方に視線を戻しながら、島は雪乃の顔に浮かんだ焦燥と怒りを感じた……
病児の受け入れをしている、それはすなわち。
ある程度の医療施設が併設されているということであって。
「……新薬の開発とか、そのための献体や…臓器移植のための臓器を摘出するとか、……実験とかが行われる、ということでもあるの」
南部から聞いた話を思い出した。
ひどいところだと、生体実験に回される子どももいるんですよ——
「…まさか」苦笑した。
「…あたしだって、そうじゃないことを祈りたい」
心配し過ぎだよ。
そう言って聞かせられるほどの知識や後ろ盾があればいいのに。だが残念ながら、雪乃は医療関係者だ。現状を詳しく把握しているのは、この自分ではなく彼女の方なのだ。
「…………」
雪乃は急に、膝に抱いた自分のバッグに顔を突っ伏した……
(泣かないでくれよ…)
そう言ってやりたかったが、泣きやめと言えるだけの根拠もない。肩を抱いて慰めてやりたくても、両手は今、エア・カーの運転で精一杯だった。
*
ちょっとここで待っててね。
そう言って、父母の部屋の箪笥の中味を見に島が部屋を出ている間、雪乃はひとり、彼の部屋のベッドに腰かけていた。
壁に貼られた、防衛軍および地球連邦政府からの感謝状。ヤマトクルーが勢揃いして写った、大きな写真……
若い男の子の部屋にしては、イヤに整然と片付けられた室内に目を瞬く。壁に貼られた写真の一枚に彼の父母と思しき中年の男女を見つけ、溜め息を吐いた……立派なス—ツを着た父親、真珠のネックレスを着けた母親。
これも整然と片付けられたデスクの上には、白い髭の初老の男性と、赤い矢印のついた制服を着た若い男、そして島が、3人で一緒に写っている写真の入ったフレーム。
(ああ、古代さんという方だわ。それと…ヤマトの艦長)
この写真を彼は一番気に入っているみたい、と雪乃は思った。艦長と、艦長代理を務めた友人。その二人と、こんなに親しそうに肩を並べているのが…彼。
雪乃は改めて、切ない溜め息を吐く…
「ほら、こんなにあるんだ」
一抱えの子供服を持って、島が部屋に戻って来た。
袋じゃなくて箱がいるかな?雪乃の腰かけているベッドの上に、彼はそれをざっと広げて置いた。
「どれでも好きなの、持って行っていいよ」
「…本当に、いいの?」
「ああ、どうせ母さん、ガレージセールに出すつもりだったみたいだし」
身長140センチサイズの子ども服が、夏物から冬物まで数着、上下のセットで揃っている。
「…あの。…全部、もらって行っても、いい?」
「もちろん」
「……島くん…」
ありがとう。後で、弟さんとお母さんにもお礼を。
「そんなのいいよ…」
島は赤くなって両手を振った。お礼なんかいらない、どうせ余ってるものなんだから。
雪乃は手を伸ばし、おもむろに次郎のお下がりを一枚ずつ丁寧に畳み始めたが、3枚目を畳む手を止め、その手で顔を覆った……。
「…ぐすっ… 」
「(えっ)…?」
泣いてるの?!
…な…なんでっ?!
嬉しくて泣いてるのか、悲しくて、なのか。
たじろぐ島の前で、雪乃はもう抑え切れない、と言ったように号泣し始めたのだ。
「ね、ねえ…雪乃…、どうしたんだ急に」
しゃくり上げながら、雪乃は首を振った……「説明、したらきっと、呆れるわ」
「……そんなことないよ」
困ったな、と苦笑しながら、島は躊躇いがちに雪乃の肩を抱く。
「…あたしも、戦災孤児だったから」
お父さんとお母さんが遊星爆弾で死んだのは、あたしが13歳の時——。
生き残ったあたしは、養護施設へ行かされたの。
14になったら、軍隊に入るか民間の仕事に就くか、選べたけど……それまでの1年間は、施設で過ごしたわ……
「あの頃が一番、ひどかった。…毎日遊星爆弾が落ちて、毎日身寄りのない怪我した子が新しくやって来て。来てすぐに死んじゃう子もいたわ…みんな汚くて…同じ服、何週間も着て…」
毎日みんな、泣いていたけど、誰も…慰めてくれなかった。
大人たちの身なりも汚くて、みんながお腹を空かせていて。
薬も足りなくて…傷が膿んで、…ひどい臭いがしてて。
みんなが…
毎日毎日、いつこれが終るんだろう、ううん、もう永久にこれは終わらないんじゃないか…って、泣いていたわ…!
自分を抱きしめた島の腕の中で、堰を切ったように雪乃は話し続けた。
「お腹いっぱい食べることとか… 普通に遊ぶとか…、清潔な服を…着られることが、何よりの幸せだったの。憧れだったの。……今だって」
突然の宇宙からの災厄に家と両親を奪われた彼女は、地球で最も困難な時代を、独り放り出された形で乗り越えるしかなかった。施設と言う名の「雨風をしのぐ場所」は与えられても、「安心」や「温もり」は乱暴に取り上げられたまま、それを再び手にしてはいないのだ……
自分の胸に顔を半分埋めながらしゃくり上げる彼女を、島は呆然と抱きしめた。
(俺は… 比較的裕福な家に生まれて、好きな学校へ行けた。軍隊に入れば士官クラスの道が約束されていた。軍からの補償で、地球に待つ父さん母さんも次郎も、それほど惨めな暮らしを強いられることは…なかった。 でも…)
親友の顔を思い浮べる。
…古代。
あいつが家とご両親を亡くしたのは、14の時。…幸か不幸か、古代は軍の訓練学校に入れた… だから、施設には入らずにすんだ、あいつもそう言っていた……
正直。
あの当時、地球で待つ人々のうち、戦災孤児の身の上がどうだったのか、などということは、自分はまったく知らずにいた。…ヤマトで戦った自分たちは、地獄を見て来た…と信じていた。
だが。
本当の地獄に居たのは、地球で俺たちを待っていた人たちの方だったのじゃないだろうか……
「……ごめんね、島くん」
「え…?」
島の腕の中で、両手で頬を押えたまま。小さな声が言った…
「だからあたし、嬉しかったの…」
ヤマトは、奇跡だった。その船の航海長が、あなた。
ご両親も、弟さんもいて…
お金に困らない。着る服にも困らない。
それが、嬉しかった。信じられなかった。
……そのあなたが、私と付き合ってくれることが… だけど。
「…………」
どう反応したらいいんだろう、言葉が見つからない。雪乃が、古代と同様天涯孤独だということは最初から知っている。無論、自分の家庭と彼女のそれとは経済的に事情がかなり違うだろうことも、ちゃんと理解していたつもりだ。
<あんたなんか、島さんと釣り合うわけないでしょ>
そう言われて嫌がらせを受けた。
——雪乃の言葉を思い出す。
ぐすん、と洟を啜って、雪乃が顔を上げた。
ああ、惨め。……自嘲しているのが分かった。
…俺が黙ってしまったからだ。
でもね、…お金が目当てだ、って思わないで…
それだけは、違うから
千切れそうな声で小さくそう言った彼女を、思わずぎゅっと抱きしめた、
「そんな風に思うわけないじゃないか…!」
歩を心配して走り回っていた雪乃。病室の子どもたちに、ケーキを買って行った雪乃。自分の体験して来たような辛い生活を、歩にはさせたくない…と懇願した、あの時の瞳。雪乃が何よりも心配しているのは自らの境遇ではなく、小さな担当患者の行く末じゃないか…?
「島くん」
雪乃の両手が、背中に回る。頬を押えるのを止めて、彼女は島の抱擁に応えた。
「雪乃」
「…島くん」
「…泣かないで」
今は、そう素直に言えた。
泣かなくてもいい。…僕が、ついてるから。君の力になるから。
そう言う代わりに、彼女の頬にそっと自分の頬を寄せる。
「……ぁ」
一瞬だけ、唇が触れ合った。
涙に濡れた睫毛を瞬いて、雪乃がこちらを見上げる… そして、泣きそうな顔をして……その瞼を閉じた。
自分の唇が触れたと同時に、彼女の瞳から大粒の涙が零れたのを感じる。
雪乃の唇は塩辛い涙に濡れていたが、その心同様、……温かかった。
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(13)(14)
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